読んだ本の感想や紹介したい部分を書いたものです。


過去ログ (その14) 101冊

平成24年1月4日〜平成24年12月25日




No 読んだ日 書       名 著   者 おすすめ度
1847 2012-12-25 黄泉の国から来た女 内田 康夫 ★★★★
1846 2012-12-25 監査法人 小林 雄次 ★★★★
1845 2012-12-18 母性 湊 かなえ ★★★★★
1844 2012-12-16 東電OL事件 DNAが暴いた闇 読売新聞社会部 ★★★★★
1843 2012-12-15 幸せの条件 誉田 哲也 ★★★★★
1842 2012-11-15 ラスト・コード 堂場 瞬一 ★★★★★
1841 2012-11-08 カラスの親指 道尾 秀介 ★★★★★
1840 2012-11-02 韓国は日本人がつくった 黄 文雄 ★★★★★
1839 2012-11-01 列島融解 濱 嘉之 ★★★★★
1838 2012-10-24 堂場 瞬一 ★★★★★
1837 2012-10-21 タナボタ! 高嶋 哲夫 ★★★★
1836 2012-10-20 堂場 瞬一 ★★★★★
1835 2012-10-18 日本人はなぜ中国人・韓国人とこれほ
どまでに違うのか
黄 文雄 ★★★★
1834 2012-10-12 傷だらけの果実 新堂 冬樹 ★★★★
1833 2012-10-07 共犯 深谷 忠記 ★★★★★
1832 2012-10-02 脱獄者は白い夢を見る 壇上 志保 ★★★★
1831 2012-09-27 ナミ屋雑貨店の奇蹟 東野 圭吾 ★★★★
1830 2012-09-26 別海から来た女 木嶋佳苗 悪魔祓い
の百日裁判
佐野 眞一 ★★★★
1829 2012-09-08 映画「最強のふたり」原作本 
A Second Wind
フィリップ・ポッツ
ォ・ディ・ボルゴ
★★★★
1828 2012-09-05 最果てのアーケード 小川 洋子 ★★★★
1827 2012-09-01 女警察署長 K・S・P 香納 諒一 ★★★★
1826 2012-08-30 ダンス・ウイズ・ドラゴン 村山 由佳 ★★★★
1825 2012-08-23 最終退行 池井戸 潤 ★★★★★
1824 2012-08-18 かばん屋の相続 池井戸 潤 ★★★★★
1823 2012-08-11 罪責 潜入捜査 今野 敏 ★★★★★
1822 2012-08-06 千年鬼 西條 奈加 ★★★★
1821 2012-08-04 東京タワーが見えますか 江上 剛 ★★★★
1820 2012-08-02 写真集 昭和の変化咲き朝顔 小川 信太郎 ★★★★
1819 2012-08-01 朝顔百科 朝顔百科編集
委員会編
★★★★
1818 2012-07-31 暗転 堂場 瞬一 ★★★★★
1817 2012-07-26 だからこそできること 武田 双雲/
乙武洋匡
★★★★
1816 2012-07-24 竹島 門井 慶喜 ★★★★
1815 2012-07-22 存在しなかった男 大村 友貴美 ★★★★★
1814 2012-07-20 すみれ 青山 七恵 ★★★★
1813 2012-07-14 その愛の向こう側 小手鞠 るい ★★★★
1812 2012-07-13 ダーティ・ママ ハリウッドに行く 秦 建日子 ★★★★
1811 2012-07-12 尋ね人 谷村 志穂 ★★★★
1810 2012-07-10 エリートの転身 高杉 良 ★★★
1809 2012-07-01 女たちの家 上 平岩 弓枝 ★★★★
1808 2012-06-30 女たちの家 下 平岩 弓枝 ★★★★
1807 2012-06-29 勉教 吉村 達也 ★★★★
1806 2012-06-28 硝子の島 新堂 冬樹 ★★★★
1805 2012-06-27 新月譚 貫井 徳郎 ★★★★★
1804 2012-06-16 推定有罪 前川 洋一 ★★★★
1803 2012-06-06 猫背の虎 動乱始末 真保 裕一 ★★★★
1802 2012-06-02 破戒者たち 小説新銀行崩壊 高杉 良 ★★★★
1801 2012-05-25 不登校児 再生の島 奥野 修司 ★★★★
1800 2012-05-20 白銀ジャック 東野 圭吾 ★★★★
1799 2012-05-17 バイバイ・フォギーディ 熊谷 達也 ★★★★
1798 2012-05-13 人事の嵐 高杉 良 ★★★★
1797 2012-05-03 時効廃止 署長刑事 姉小路 祐 ★★★★
1796 2012-04-30 結婚 井上 荒野 ★★★
1795 2012-04-28 走らなあかん、夜明けまで 大沢 在昌 ★★★★
1794 2012-04-25 母の遺産 新聞小説 水村 美苗 ★★★★
1793 2012-04-22 デッドエンド ボディガード 工藤兵悟 今野 敏 ★★★★
1792 2012-04-20 炎上 警察庁情報分析支援第二室<裏店> 遠藤 武文 ★★★★
1791 2012-04-18 傷痕 桜庭 一樹 ★★★★
1790 2012-04-15 所轄魂 笹本 稜平 ★★★★
1789 2012-04-11 朝の霧 山本 一力 ★★★
1788 2012-04-09 相田家のグッドバイ 森 博嗣 ★★★★
1787 2012-04-01 地層捜査 佐々木 譲 ★★★★
1786 2012-03-31 覇王の死 二階堂 黎人 ★★★★
1785 2012-03-29 カシスの舞い 帚木 蓬生 ★★★★
1784 2012-03-28 江田島殺人事件 内田 康夫 ★★★★
1783 2012-03-27 築地ファントムホテル 翔田 寛 ★★★★
1782 2012-03-25 花嫁 青山 七恵 ★★★★★
1781 2012-03-22 堂場 瞬一 ★★★★★
1780 2012-03-12 大いなる時を求めて 梁 石日 ★★★★★
1779 2012-03-08 羅針 楡 周平 ★★★★★
1778 2012-03-06 再会の街 藤田 宜永 ★★★★
1777 2012-03-03 愛娘にさよならを 刑事 雪平夏見 秦 建日子 ★★★★
1776 2012-03-01 希望 渡邉美樹の日本復興プラン 渡邉 美樹 ★★★
1775 2012-02-29 人生教習所 垣根 諒介 ★★★★★
1774 2012-02-28 トライアウト 藤岡 陽子 ★★★★
1773 2012-02-26 花酔ひ 村山 由佳 ★★★★
1772 2012-02-24 無双の花 葉室 麟 ★★★
1771 2012-02-22 CUTE&NEET  キュート&ニート 黒田 研二 ★★★★
1770 2012-02-20 隠し事 羽田 圭介 ★★★
1769 2012-02-18 限界集落株式会社 黒野 伸一 ★★★★★
1768 2012-02-16 ジョンマン 大洋編 山本 一力 ★★★★
1767 2012-02-13 鬼刑事 米田耕作 矢島 正雄 ★★★★
1766 2012-02-11 大絵画展 望月 諒子 ★★★★★
1765 2012-02-09 清盛と平家物語 櫻井 陽子 ★★★★
1764 2012-02-08 暗殺請負人 刺客大名 森村 誠一 ★★★★
1763 2012-02-06 負けんとき 上・下 玉岡 かおる ★★★★
1762 2012-02-02 東京ヴィレッジ 明野 照葉 ★★★★
1761 2012-02-01 エネミイ 森村 誠一 ★★★★★
1760 2012-02-01 彼女が追ってくる 石持 浅海 ★★★
1759 2012-01-30 レンズが撮らえた幕末明治日本紀行 岩下 哲典 ★★★★
1758 2012-01-29 銀婚式 篠田 節子 ★★★★
1757 2012-01-27 闇夜で踊れ 馳 星周 ★★★★★
1756 2012-01-25 テンペスト 上・下 池上 永一 ★★★★★
1755 2012-01-20 アンチェルの蝶 遠田 潤子 ★★★★★
1754 2012-01-18 中野トリップスター 新野 剛志 ★★★
1753 2012-01-16 白河法皇 美川 圭 ★★★
1752 2012-01-12 神の器 上・下 申 翰均 ★★★★
1751 2012-01-10 人生がときめく片付けの魔法 近藤 麻理絵 ★★★★
1750 2012-01-09 隣人 喜多 由布子  ★★★★
1749 2012-01-07 東京ピーターパン 小路 幸也 ★★★★
1748 2012-01-05 日本を捨てた男たち フィリピンに生き
る「困窮邦人」
水谷 竹秀  ★★★★
1747 2012-01-03 転迷 隠蔽捜査4 今野 敏 ★★★★



1847 黄泉の国から来た女
Date: 2012-12-25

おすすめ度 ★★★★

内田 康夫 著  新潮社  発行:2011年7月

 天橋立の宮津市役所商工観光課に勤務する神代静香のもとに女性が訪ねてきた。個人的なことだというので昼休みか勤務時間以外にというと帰っていった。その晩、その女性が殺された。女性は畦田美重子といい妊娠していた。羽黒山のある場所から来たという。
 静香の母は羽黒山のある山形県鶴岡市にあるが、絶縁状態となって母の結婚後は行き来していない。
 静香の父が羽黒山に修行に行った際に、母親の徳子に出会った。自分を連れて逃げてほしいというが、父は困惑した。徳子はほどなく天橋立までやってきた。そして結婚した。
 徳子は籠神社に参拝した夜、太陽が口から飛び込んできた夢を見て身ごもったという。静香は「アマテラスの子」と呼ばれていた。1歳の誕生を迎える前に母は病死した。25年前のことである。
 畦田美重子がなくなった事件で、何を伝えたかったのか静香は気になり、浅見光彦に連絡した後、山形県に行く。
 鶴岡市では静香をみて驚く人がいた。自分は母によく似ているといわれたのを思い出した。
 湯殿山の地すべりで人骨が出た。30年前に失踪した修行者の一人だと思われた。
浅見光彦と静香が聞いて回るうちに神澤と真由美の不倫を知る。桟敷真由美が殺される。
やがて、真相がわかり始めるが・・・。
1846 監査法人
Date: 2012-12-25

おすすめ度 ★★★★

小林 雄次 著  TAC出版  発行:2010年3月

 ジャパン監査法人に所属する若杉健司は、金沢の北陸建設工業の監査中に「そこにある三国販売(株)の残高証明は偽物である」というFAXを受け疑問を持つ。売り掛け台帳の金額が合わなくなる。実際の物件を見にいく。完成しているように見えるマンションもまだ工事中だった。工事完了報告書もおかしい。会社側はそれを察知し、売り上げ形状の半分以上を占めるマンションは夜を徹して足場をのけるなどの作業がなされた。雨が降っていた。作業員が足場から転落し命を落とした。しかし、若杉は北陸建設工業の監査に不適正表明をした。もはや倒産は時間の問題となった。
 若杉の同僚の魚住絵理も「王様クッキー」の飛鳥屋の監査を行っていた。倉庫が火災になったはずなのに火災損失がない。固定資産も棚卸し資産も減っていない。
 吉野もこの飛鳥屋の監査にかかわっていたが、若杉や絵理の意見とは異なってこの飛鳥屋の監査を適正としてしまう。しかし、週刊誌は飛鳥屋の火災を自作自演と書きたてる。
 吉野は東都銀行の監査を任される。若杉も一緒だ。ここで飛鳥屋の裏帳簿のコピーを見つける。800億円分の裏帳簿。不良在庫や架空売り上げを知る。適正と認められないと判断した。銀行役員の須賀は飛び降り自殺してしまう。
 そして、ジャパン監査法人も東京地検の証券取引法違反の容疑で家宅捜査が行われた。
若杉が師として尊敬していた先輩が徐々に態度を変えていた。会社よりになっていく。若杉は正しいことを貫くのが会計士の本分だと思っていたので苦悩する。
1845 母性
Date: 2012-12-18

おすすめ度 ★★★★★

湊 かなえ 著  新潮社  発行:2012年10月

 私が24歳のとき事務員をしていた。父は3年前に死亡していた。市民センターの絵画教室で知り合った田所哲史と知り合い結婚した。
 すぐ高台の小さな家をみつけ新居にした。夫婦で気に入って美しい家を作る目標があった。子供もできた。7年後、山側の山が崩れたんすが倒れた。私は母を助けに行ったが、母は自分より先に子供を助けるように言う。私は子供より母を助けたかった。母はそのとき、子供を私に押し付け舌をかんで死んだ。そのとき火災も起こり、夫は私の気付かない内に大事なバラの絵を持ち出していた。
 家を失い田所の実家に転がり込んだ。田所の家では義母があまりよく思わなかった。そこへ義妹が四歳になる英紀を連れて戻ってきた。よい所に嫁いだといっていたが、愚痴ばかり言っていた。それより英紀は落ち着きがなかった。わたしが本を読んでやると静かにしているが、母親とは思うようにならないとかんしゃくを起こしていた。
 わたしは英紀に「英紀が一番好き」と言ったら喜んでいた。ところが、わたしは妊娠した。上の娘は小学生になっていた。大切にしていたつもりが、ぐずる英紀を散歩に連れ出したところ「赤ちゃんが一番大事」というと英紀は私を突き飛ばした。それを近所の人が見ていた。わたしは流産した。
 義妹と英紀はこの家から出て行った。その後は、わが子を亡くした喪失感から沈んでいた。田所もこのところ忙しいと帰りが遅かった。娘は気を使うように私の手伝いをしてくれた。
 娘は父親の田所が女のところに行くことを知った。そして、自分は祖母の代わりに生き残ったことを知る。
 母が大事にしていた桜の枝に首をかけ自殺を図った娘。幸い義母がみつけ命は取り留めた。
結婚して18年、3年前に田所はふらっと家に帰ってきた。義母は自分の娘もわからなくなり、嫁を娘だと「ルミ子ちゃん」と呼ぶ。
1844 東電OL事件 DNAが暴いた闇
Date: 2012-12-16

おすすめ度 ★★★★★

読売新聞社会部 著  中央公論新社  発行:2012年11月

 1997年3月9日、東京電力の総合職の女性社員が渋谷の円山町のアパートで殺された。
隣にビルに住んでいたネパール人ビゴンダが容疑者として逮捕される。殺されたアパートのトイレにあったコンドームの中の精液のDNAがビゴンダのものとされた。
 ビゴンダは否定したが、2003年10月20日、最高裁で無期懲役が確定された。
2005年3月再審請求が出される。2011年1月東京高裁が保管証拠品からDNA鑑定の検討を求める。3月、被害者の体内に残された精液、ふき取ったガーゼ、被害者の胸に残った唾液、女性のコートについた血液などからビゴンダ以外の結果が出る。
 2012年6月15日、ビゴンダはネパールに帰国する。2011年7月読売新聞が初めてDNA結果を公表し、再審の扉が開いた。15年にわたって刑務所で無駄に過ごしてしまった。
1843 幸せの条件
Date: 2012-12-15

おすすめ度 ★★★★★

誉田 哲也 著  中央公論新社  発行:2012年8月

 瀬野梢恵は三流の私大を出て、この片山製作所に勤務して2年になるが、社長からは「役立たず」と呼ばれている。梢恵自身もよくわかっていたが、社長は自分が失敗しても多めに見てくれている。
 ところがいきなり長野に休耕田の確保とそれを使って米の作付けを契約して来いといわれる。契約が完了するまで帰ってくるなとも。給与はくれるようだ。
 2月21日、梢恵は長野県穂高にやってきた。社長から訪ねるように言われたJA北信州みゆき穂高出張所の小杉を訪ねる。40軒の農家から休耕田を持つ者の紹介をしてもらう。
 タクシーを使ってまず田中文吉さんを訪ねるが、バイオエタノール精製装置を使ってバイオエタノールを作ることを説明するも、説明途中で「百姓は食うための米を作るもんだ。燃やすための米をつくる百姓は百姓ではない」と叱られる。
 4〜5軒回るが理解してもらえない。タクシー運転手から教えられたユースホステルに泊まる。
 ユースホステルから紹介された農業法人「あぐもぐ」の安岡茂樹を紹介される。安岡の妻君江のおにぎりを食べ、高校生の娘朝子から慕われながら、自分が置かれた立場を話す。
 君江の夫、安岡は梢恵にバイオエタノールの話を聞き、それなら育てやすい、倒れにくい、病気にかかりにくい品種の米を調達して来いといわれる。その前に百姓もやったことがない梢恵。
 安岡の家の敷地内の小さい一軒家を借りる。両親の住んでいた家だ。
 いったん、東京に戻り荷物を送り会社にもよって状況を話す。励まされて再び穂高へ戻った。
 梢恵の最初の仕事は除雪で、田んぼに灰をまくことだった。その後、トラクターの運転、畦塗りなど徐々に仕事を覚えていった。
 3月、雪はまた何度か降った。周りの人にささえられ、自分が役に立っていることに喜びを見出した。
 そして、10月、梢恵は正式に「あぐもぐ」の正社員になり農業をやっていこうと思うようになった。
 最初に訪ねた文吉さんの田んぼが借りられることになった。
 初めてできたエタノールを文吉さんちに届ける。
 
1842 ラスト・コード
Date: 2012-11-15

おすすめ度 ★★★★★

堂場 瞬一 著  中央公論新社  発行:2012年7月


 美咲は中学生でいきなりアメリカに留学した。母が亡くなり、ますます家庭を顧なくなった父親は自分の研究のことしか頭になかった。小さい頃から英会話を学んでいた。すぐにアメリカの学校生活にも解け込んだ。ロサンゼルスの郊外にある全寮制の学校だった。もっとも、母が生きているときは、いつも母と二人きりで食事をした。なぜ母が父と結婚したのか分からなかった。
 その父が殺されたと日本から電話があった。14歳の美咲は一人で手続きをして日本に帰国した。
 羽田空港では刑事の筒井が迎えてくれた。しかし、美咲と筒井は何者かに狙われる。筒井は気転を働かせ元警官だった冴がやっている探偵事務所に転がり込む。すぐに彼らに居場所を突き止められる。筒井は警察署内に自分を守るグループと捕らえようとするグループが存在することを知る。
 美咲の父はごく小さいナノマシンの技術を中国に売っていたのか、父の銀行口座には多額の金が残っていた。美咲はアメリカからパソコンを持ち込んでいた。それを見た筒井は父親のパソコンも見られないかと聞く。やがて、パスワードが合致して父親の日記のようなものが現れる。銀行口座に振り込まれた名前から中国人や日本の政治家の名前も出てくる。産業スパイか?
 美咲は生意気な中学生であった。数学のオリンピックといわれる大会に小学生で参加し優勝してしまった子である。日本の学校では友達も少なかった。中学1年で留学を考えるような子でもあった。
 父親を殺した犯人は中国人2人だ。中国医療機器メーカーの関係者だった。父の住んでいた家で筒井と美咲は襲われそうになる。そこへ鳴沢了が助けに来てくれた。
1841 カラスの親指
Date: 2012-11-8

おすすめ度 ★★★★★

道尾 秀介 著  徳間書店  発行:2011年7月

 武沢はアパートの鍵が開かなくなり、チラシにあった鍵屋に電話した。鍵屋がやってきて直した。入川鉄巳という鍵屋とはその日、夕食もともにした。ふた月後、武沢のところに入川が転がり込んできた。ほかにいく当ても知り合いもないという。商売もたたんでしまった。
 武沢たちが食事から戻るとアパートが燃えていた。二人は逃げる。武沢には人に追われる心当たりがあった。以前に勤めていたヤミ金融のあまりにあくどいやり方に自分はもう逃れられないと、証文のひとつを証拠に警察に駆け込んだ。2週間ほどでそのヤミ金融は警察の摘発を受け解散し、首謀者のヒグチは捕らわれた。武沢はヒグチからの報復におびえていた。7年前に武沢は自宅が火災にあい、娘を焼死させた。放火したのはヒグチだ。あの日、車の中からあの男のうす笑う顔を見た。
 武沢はあくどい取立てで、母子家庭の母を自殺させてしまったことがあった。以来、その子ども宛に出来る限りの送金を続けていた。
 常磐線か京成線なら上野に出られるとその沿線に小さな1軒家を借り、二人で暮し始めた。そこへ、目の前でスリを働く娘ぐらいの女の子を見つけ、ひょんなことからその娘とも一緒に暮し始める。ところが、娘は姉と姉の恋人も一緒に暮していたと言い、とうとう5人で暮らすことになった。まひろとやひろの姉妹と貫太郎という男が一緒だ。
 ところが、この家もまたしても放火されたがボヤですんだ。つけ狙われる恐怖があった。武沢はヒグチたちを騙そうとたくらみ、ヒグチたちが出入りしているマンションを張り込み、盗聴器が仕掛けられていると室内に入り込む。そして金庫の金を奪い取ることに成功する。
 5人で金を分け、それぞれが出直した。
入川は癌で入院していた。19年前に捨てた妻子、その子どもはあのまひろとやひろだったことを知る。病気が分かり、その子たちを探し出し、送られていた金と武沢のことを知った入川は、武沢にヒグチの脅威から取り除くことにひと芝居をしたのだった。
1840 韓国は日本人がつくった
Date: 2012-11-2

おすすめ度 ★★★★★

黄 文雄 著  徳間書店  発行:2012年10月

 日帝36年で日本が韓国から奪ったものは何もない。資本的技術力を投入し、近代化をもたらした。決して自力では不可能であったと著者は断言する。
 医療施設の普及、道路や橋梁の整備で流通も運搬も盛んになった。米も5年に2作だった、あるいは3年に1作だった。反当りの半分の収穫量が倍増した。日本農民が養豚、養鶏、養蚕などの多角的な経営と、老若男女の差がなく、家族ぐるみで農業に従事する日本人の姿に、朝鮮人女性が少しずつ畑仕事をするようになった。
 日帝といわれる時代は朝鮮の国家予算の20%を日本の予算から支援していたのである。
 やがて人口も増加していった。日本が搾取していたなら、朝鮮の民は子を増やし増加などありえないことである。
 営林署を設立し造林に着手した。それまではどこまでいっても、木のない赤茶けた禿山と赤土ばかりだったのだ。道はかろうじて人馬が通れる程度。
 日帝といわれた時代、日本人が朝鮮半島にわたり土地調査を行うと、40%も隠し田があった。日本人が山間の土地を開墾し、干潟を良田にし、田畑を広げていった。
 日本名に変えさせられたのではなく、中国人、朝鮮人、日本人との意識の差から、朝鮮人のほうから申し出たものだった。日本名に変えないで朝鮮名で通した人も多かった。
 むしろ、日本が朝鮮にあったハングル文字を広める手助けをした。これまで両班たちは、自国のハングル文字を使わないばかりか、中国の漢文を好んで使っていた。朝鮮の歴史をたどるには、すべて漢文で書かれている。朝鮮では王位を勝ち取るとこれまでの王の時代の書物を焼き払うことも行われていた。日本抱合により、歴史書の重要性から大切に保管されるようになった。
 女が売買される風習があり、また外国からの訪朝者に妓生を与える。その場合の女性は貧しい民の中から選ばれるのではなく、両班の子女たちであった。
 朝鮮の人が色物の服を着るようになったのは日帝の時代からで、それまでの朝鮮王朝時代の両班でさえ、大半は白い綿の服を着ていた。唐絹などは農民・平民はもちろん、両班でさえ、めったに身につけなかった。
 朝鮮ではことさら日本に対しては被害を被った被害者意識を強く持っているが、いち早く国を近代化へと導いたことは頭にない。何かにつけて、うまくいかないのは他人のせいにする。ビルが倒れたのも、百貨店が倒れたのも、橋が倒れたのも日帝がきちんと指導してくれなかったと日本のせいにする。
1839 列島融解
Date: 2012-11-1

おすすめ度 ★★★★★

濱 嘉之 著  講談社  発行:2012年3月

  小川正人は衆議院議員選挙で3度目の当選を果たした。1期先輩の藤原兼重も当選した。
小川は元東日本電力の社員で、藤原は経済産業省出身の議員であった。
 震災から1年半が過ぎた。国のトップに立つものが「脱原発」を表明していたが、小川には政治家の責任が欠如していると感じていた。日本は原発に35%依存していた。国内産業の将来に向けた事業継続に不安を感じさせた。電気を止めて電車を動かせというようなものだ。改選前は共産主義者の傀儡のような政治集団にあって、経済政策を知らない無知の集合体、素人政権の末期的症状だった。
 藤原は今度副大臣になるだろう。小川はかつて入社五年目でアメリカに留学しアメリカの電力事情と今後のエネルギー政策を勉強し、2年後戻ってくると国会の政策担当秘書を受験させられた。4年間秘書生活をおえたところで、日本自由党から立候補の打診があった。愛知二区から出馬し当選した。小川は派閥には参加せず、フリーランスに活動をした。
 太田正治は原発から20キロの地点で自動車の下請け会社を営んでいた。地震で父と兄、妻と子どもたちを失った。耐火金庫に保管されていた1億円を元手に再起を考えていた。
その時に、東洋商事日本支社の野田と知り合い、中国に自動車部品の会社を設立することになった。ところが、太田が立てた工場のコンピュータから外部に情報が漏れていることに気がつく。太田はそれを知りながら、職人としての精巧な技を盗られまいと工夫する。
やがて、太田の作る部品の偽者が出回り始めた。部品は主に韓国に輸出されていた。太田はそれが偽ものであることを見抜く。一時帰国し、警視庁のハイテク担当者と会う。そして中国に戻った太田は、わなを仕掛け、自社工場で不具合が起こったことを告げる。工場の外から轟音が聞こえた。太田は上海空港の搭乗待合室で事故報道をニュースをテレビで見た。
 帰国後、小川の政策演説会で太田は「中国では自分の技術を盗むことだけが目的だった」と話す。小川から「今度は日本がその技術を取り戻すときです。一緒にやりましょう」といわれる。
1838
Date: 2012-10-24

おすすめ度 ★★★★★

堂場 瞬一 著  集英社  発行:2012年8月

  平成元年に大学を卒業し社会に踏み出した二人。大江は大蔵省に、鷹西は新聞社に入社した。
 1994年、大江の父が急死した。父は国会議員だった。父が守っていた金庫を開けたとき、出てきたのは借用書だった。合計で1億円。父は金がないといつも言っていた。後援会長の下田から父の代わりに議員になってくれないかと頼まれる。しかし、大江は借金のことが頭にあり、まだ若いことから断る。父が世話になった古参のかつての政治家の別荘を伊豆に訪ねた。やはりここでも政治家になることを勧められる。そして金庫を開けぎっしり詰まった札束を見るが固辞した。彼が金庫を閉めようとしたとき、大江は飛び掛るようにそれを制し、そばにあった大きな花瓶で殴った。大江は人目につきにくいこの別荘地では冷静だった。花瓶を片付け、畳を拭き、現金をすっかり頂いてくるまで立ち去る。
 大江は大蔵省を辞め、IT産業を起業する。これからはパソコンの時代だ。ブロバイダーを立ち上げ社員を雇い、順調に業績を上げていった。同時に会社の後継者も育てた。
大江は国会議員に立候補し政治家になった。無駄のない言動に信頼を得て若くして党の副次長というポストを得る。テレビにもよく出るようになった。
 一方、大学で同志だった鷹西は新聞記者になる。自分の時間で小説にも着手した。最初の小説はあまり評判がよくなかったが、時代小説を書くとあたった。大江も読んでくれていた。しかし、もっと自由に書きたいと思っていた。
 伊豆で起こった1994年の古参の政治家の殺人事件は未解決だった。それを小説の題材にしてみようかと思い、調べ始める。
 政治家の別荘地を訪ねる。少し前に大江も来ていたことを知る。なぜだ!大江の父が死んだ後、大江は世話になった人を訪問するといった。あの日、あいつは誰を訪ねたのだ。金がないといっていたが、起業した金はどこから出たのか。もしや・・・と疑う。
 大江に会った鷹西は思い切って「お前が殺したのか」と聞くが、大江は堂々として動揺を見せない。そこへ3.11のあの大地震が来る。大江は国を守らなければならないとすぐ官邸に戻る。
 鷹西は、大江が日本に必要な政治家であることから、すでに時効を迎えた事件を封印することを決めた。
1837 タナボタ!
Date: 2012-10-21

おすすめ度 ★★★★

高嶋 哲夫 著  幻冬舎  発行:2010年7月

 大場大志は民有党の比例98位のブービー賞で当選した。27歳の衆議院議員だ。立候補するに当たり、履歴書と論文を提出した。髪も黒に変えた。102人の新人のうち99人が比例当選だった。まさにタナボタであった。
 当選3日後には伊豆の国民宿舎に新人議員が集合させられ、オリエンテーションが行われた。
 大志には元衆議院議員の政策秘書だった木島幸司52歳が秘書となってついてくれた。
大志は高校の頃、補導歴が3度あった。警察に3度表彰されたこともある。老人の迷子保護、置き引きの通報などであった。
 同じように谷川清美も1年生議員だった。だが、清美は当選したことを後悔していた。事務所が違法献金をもらったことでパパラッチに追い掛け回されていた。
 大志も誰かに付けられているような気がしていた。だが、今度解散したら自分の議員の席はないだろう。
 大志の祖父が老人ホームに入所していた。93歳、認知症もある。その祖父がいなくなった。見つけてくれたのはホームのインドネシアから来た看護師だった。
それが縁で、大志は外国人の看護師研修の法案を議員立法で出そうとする。秘書の木島が不備があり、すぐには出せないという。議院法制局でも相談するが法律文書の体をなしていないと指摘される。
外務大臣と厚生労働大臣にも相談をするよう打診される。おまけに議員から20名の賛同を得なければならない。
 大志は急に脚光を浴びた。党からは当初、法案をひっこめるよう促される。新人で怖いもの知らずと揶揄された。ところが一転して擁護されることになった。
 そして、外国人看護師国家試験に関する特別措置法案が3年間の時限立法の形で3年後に日本の状況に合わせ修正するということになった。
 地元の元参議院議員で元美人アナウンサーに負けた梅村から「百人のド素人が悪政の片棒を担いでいる」と「どうせ次はないんだろう。次は議員の削減を騒ぎまくれ」といわれる。
1836
Date: 2012-10-20

おすすめ度 ★★★★★

堂場 瞬一 著  文芸春秋  発行:2012年5月

  鹿野が40年ぶりに母校の大学に戻ってきた。鹿野が所長を勤める麗山大学大学院の「地域政治研究所」だ。四階建ての真新しい建物だった。
 鹿野には40年数年前にデモ隊と機動隊が衝突し、当時高校生だった16歳の石川という生徒が死んだ。死因は不明だった。鹿野はその事件を調べ始めた。鹿野も当時20歳でデモに参加した。医学部の学費値上げが発端だった。火炎瓶や放水の中、鹿野は逃げた。
 鹿野は大学卒業後、東京の大学で教鞭をとった。生徒の中に鹿野に教えられ地元に帰り市議をしている石川に会った。鹿野は「新聞記者として培った能力があり、今市議として謎解きに使おうと思わないか」と石川にいい、協力を求める。
 石川は兄があの事件で死んだ原告でもあったが、警察の過剰な攻撃はなかったと敗訴した。裁判は10年にも及んだ。触れて欲しくない事件でもあった。
 死んだ生徒は鈍器で殴られたような傷を負っていた。警棒や細いものではなく、ゲバ棒か何かだ。脳天をやられていた。
 石川はかつて働いて今は倒産した新聞社の資料倉庫で写真を見つける。カメラマンの和田が撮ったものだった。その写真には石を持って振りかぶっている鹿野が写っていた。
 鹿野は実川に会ったとき、金を要求された。実川はあの時、鹿野が投石したことを知っていた。デモの後、石を探し隠したという。石は今も手元にある。鹿野は身に覚えがないので金の要求は断る。
 実川と会っている鹿野を見た。実川は塾の講師をしながら高校生に覚せい剤を売る男だった。石川は鹿野に写真を見せる。鹿野は驚く。実川に脅迫されていることを話す。石川も死んだのは自分の兄だと鹿野に伝える。鹿野はうろたえる。石川は鹿野は傲慢で自信たっぷりの男だ。社会的責任の取り方もあるだろう。写真はあっても一連の流れがないので確固たる証拠ではない。
 鹿野は日本で築き上げたものを捨てる覚悟をし、アメリカに立つ。
1835 日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまでに違うのか
Date: 2012-10-18

おすすめ度 ★★★★

黄 文雄 著  徳間書店  発行:2012年8月

  日本には平安時代の400年近い平和の時代と江戸時代のように300年近い安定した時代があった。誰が首相になっても社会が不安定になったり国家崩壊などということはない。
 大災害が起こっても泰然自若として法と秩序を守ってきた。すべてが銭、金儲けという実利的な中国人とは違う。
 中国人が日本を侮蔑して「小日本(シャオリーベン)」という。ちっぽげな日本という意味である。中国では大をつけることを好む。大きいことに固執する。
 中国人は中国は日本にさまざまな文化を教えてやったと考え、日本人もまた日本は歴史的に中国から多くを学んだと思っている。仏教、儒教、漢字、律令制などが取り上げられれるが、それは「あっただけ」で史上ずっと共有してきたものではない。宦官や科挙の必要もなく、日本では早くから封建制度が確立し、領主が国を治めていた。流民や難民があふれることはなかった。漢字も10世紀前後にはかな文字創作していた。
 日本は遵法精神がはるか昔聖徳太子の憲法17条以来存在し、明治になってからではなく、大名から乞食まで共通すると「江戸幕末滞在記」にも遵法精神を取り上げている。
 日本人は外への関心が強く、中国人は外の世界に興味を持たなかった。「うそをつく」「不誠実」とされる中国人に対し、日本人は公共心に富み「誠実で人に施し平和を好む」
 一方、韓国人は日韓併合によって自国が消滅したことを恨み、日本の罪をでっち上げてしつこく責め立てる。「歴史的に弟分である日本に追い抜かれ支配を受けた」という恨みで「ハン」といういつまでも恨みを忘れず執着する。韓国が最も嫌いな国は中国、ついで日本である。朝鮮は長い間1000年以上に渡って中華帝国の属国であった。
 日帝36年の七奪という主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源であるが、併合により近代化が進み、食糧生産も増し、医療衛生環境の整備、人口も増えたのである。
 日韓基本条約(1965年締結)で日韓間の請求権をお互いに永久に放棄することを決めている。その際に、日本が提示した個人補償案を拒否し、韓国には巨額の経済援助を行ってきたことを2005年で韓国国民が知らなかった。さらに1995年の村山内閣の時代に謝罪決議をしているが、反省と謝罪は大統領が変わるたびに繰り返される。きりがない。
 韓流ドラマに身分の低いものまでが極彩色の服を着ているが、実際には白服だった。一般の者が染色物を着られるようになったのは日本統治になってからである。1653年のオランダ人は、軍人までが乞食同然と記述し、1885年には樹木は皆無、労働者も裸同然と述べている。1894年には奴婢の売買も行われ、農民たちは一揆を起こす気力さえなかった。
 サムスンは現在の韓国の市場総額の4分の一を占める。韓国の企業は「値段」で勝負するが日本は「質」である。韓国では成金は天才と称されるが、日本ではむしろ嫌われる。
日本では「嫌韓流」が広まりつつある。ドラマやK−POPにうんざりしてきている。
 この著者は「日本人は韓国・中国に学ぶものは何もない」という。
1834 傷だらけの果実
Date: 2012-10-12

おすすめ度 ★★★★

新堂 冬樹 著  河出書房新社  発行:2012年9月

 黒瀬裕二は映像制作会社「クランクイン」を経営する。25歳のときにはじめて映画を作った。現在33歳。この8年間で映画は10本作った。すべてが話題作になった。
次作の「レインボーナイト」のキャステングで面接をした鳥坂瑞希26歳を見て、裕二が大学のときに一緒だった菊池緑を思い出していた。
 緑は同級生からブスといわれてへこんでいた。見返すには整形するしかないと緑に50万用意させた。整形外科でもう少しかかるといわれ、裕二がサラ金で金を借りるというが、緑が自分のことだからと自ら借りてきて二重まぶたにする手術を受けた。
 緑はきれいになったが、本当に美人に仕立てるには1千万をつぎ込む者もいるとある男に言われる。緑はキャバクラに通って借金を返す。
 八重歯も抜いてしまおうと裕二は歯科医にも連れて行く。緑はキャンパスで行われたミスコンテストに自分が整形したことをカミングアウトし優勝する。
 裕二は、女性を美しく変身させ「商品化」し、プロデュースすることを考えていた。「お前を馬鹿にしてきた奴らを見返すためにトップ女優にする」と緑に言う。しかし、緑は裕二の前から消えた。
 あれから15年。今、目の前にいる瑞希には八重歯がある。現在は八重歯がかわいいという理由で再び脚光を浴びているという。目の前の女は菊池緑に似ている。プロフィールに偽りがないかと聞く。鳥坂瑞希では偽りがないと言う。好きなミルクティーも同じだった。
1833 共犯
Date: 2012-10-7

おすすめ度 ★★★★★

深谷 忠記 著  徳間書店  発行:2012年8月

 国立市にある農業大学大学院の研究生海老沢夏彦の娘で保育園児の美菜ちゃん3歳が行方不明になった。研究室にかばんを取りに行った7、8分の間の出来事だった。近くに赤い背丈の低い車が止まっていたのを目撃した人がいた。
 美菜の母早苗も公立学校のスクールカウンセラーをしていた。夫婦とも仲がよく子どもも大変かわいがっていた。
 永井はこの事件を18年前の秋、R県で起きた連続幼女誘拐事件を思い出していた。永井は42年勤めた警察を一昨年定年退職した。18年前、この誘拐事件は38歳の高校の英語教師春山達夫が逮捕された。春山には妻と8歳の女の子がいた。春山はその後犯行を裏付ける証拠がなく、不起訴処分になったが、夫婦は離婚し、春山も職を追われその地を離れた。永井はその春山が3年前に所沢に住んでおり、再婚した妻の苗字を名乗って暮しているのを確認していた。
 警察は赤い車を捜していた。そして病院の医師国分哲士39歳が逮捕された。国分の別荘に美菜ちゃんの毛髪と服の繊維があったことが逮捕の決め手となった。国分は18年前の連続幼女誘拐事件の容疑者でもあった。そして、18年前の事件も明るみにされた。国分が犯人だった。今回の美菜ちゃんの件は否認しているという。春山の無実が証明された。
 警察は、美菜の母が春山達夫の実の娘であることを知った。美菜は数日後、スーパーの駐車場で無事に保護される。
 早苗の実の父春山が癌で余命いくばくもない。春山達夫と再婚した三ツ橋容子から手紙をもらった早苗。そこには思いもしなかったことが書かれていた。
1832 脱獄者は白い夢を見る
Date: 2012-10-2

おすすめ度 ★★★★

壇上 志保 著  新潮社  発行:2012年8月

  広瀬はしめは刑務所に収容されていた。書道クラブに属していた。きれいな字を書く。一文字の習字をした。大抵が愛とか改、了、新などと書くが、広瀬は境と書いた。「境に入る」という意味だそうだ。きれいな字だった。
 広瀬の幼いころ、父が愛人を連れてきて2階に住むようになった。妹と母と広瀬は階下に住んだ。母が妹と自分を連れて家を出た。母は鉄道の上から妹を突き落とした。広瀬は愛人に育てられた。
 20歳で病院事務をした。技師が親切にしてくれた。技師は同性にだけ性的に興味があるが異性に興味がなく、いつも話をして帰っていった。
 ある日、血だらけになった技師が訪ねてきた。ビニール袋に死体を包み小屋の中の冷凍庫に入れていった。2年後、技師は自殺したという。伝えに来た男は「白樫がお世話になりました」と丁寧に言った。
 後日、小屋の死体が発覚し広瀬は逮捕される。何も知らないので黙秘した。逮捕されて10年目、ようやく仮釈放になった。
 広瀬は自宅に行った。技師からもらった家だった。部屋は技師の知人が管理していてくれた。
 子どものころすんでいた家を訪れた。庭は荒れて人気はなかった。通りかかった人から愛人が入院していると聞かされる。病院にいった。もう動けなくなった愛人は機械に囲まれてねむっていた。広瀬は機械のスイッチを止め、管を抜いた。愛人は死亡した。
 再び収容所に入れられた。
 広瀬は夢を見た。技師の夢だった。広瀬はニュースの音量から白樫という名を聞いて脱獄した。白樫は技師の名だった。自分にとっては恩人だった。広瀬は脱獄して白樫の家に行った。白樫は生きていた。
1831 ナミヤ雑貨店の奇蹟
Date: 2012-9-27

おすすめ度 ★★★★

東野 圭吾 著  角川書店  発行:2012年3月

 旧型クラウンを盗んだ3人の男たちが車を捨て入り込んだ家は、元雑貨屋だった。今は廃墟のような家であった。40年前の週刊誌があった。週刊誌にはこの家のことが記事になっていた。
なんでも72歳の店主が悩みも相談に乗ってくれる雑貨屋さんだった。
 誰かが郵便受けに手紙を投函して行った。差出人は月ウサギ。「彼が癌で余命半年、自分はオリンピックをめざして頑張っているが、彼のそばにいるべきか悩んでいる」というもの。
今でも相談の手紙を持ち込んでくるのかと3人は不思議に思う。牛乳箱に返事を入れる。「あなたの行くところへ彼も連れて行けばいいのではないか」と。
 「迷える子犬」さんには「豊かな経済力を手に入れるために水商売をする」ということへの返事に「すぐに水商売をやめること。愛人にならないこと。これから5年ほど経済の勉強のうち証券取引と不動産売買をやってください。日本は1986年以降好景気になります。1985年までに不動産を買ってください。そして1989年までに売ってください。その後は日本経済は悪化します」と回答した。
 「迷える子犬」はこの返事のとおりにした。窮地にあった児童養護施設を助けることになる。
1830 別海から来た女 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判
Date: 2012-9-26

おすすめ度 ★★★★

佐野 眞一 著  講談社  発行:2012年5月

 木嶋佳苗の事件の記録である。平成20年に宮本氏と結婚する意志があるかのように見せ130万を詐取、また木村氏とも結婚を餌に189万円を詐取した。
 平成21年1月寺田氏53歳を練炭を使い一酸化炭素中毒で死亡させた。5月には、千葉県野田市の安藤氏を練炭で殺害、7月には板橋氏と結婚する意志があるかのように振る舞い金を詐取しようとしたが板橋氏に断られる。同じ頃、大出氏から470万円を詐取した。8月には富士見市の駐車場で練炭を使い大出氏41歳を殺害。
 百日もかけた裁判は、さいたま地裁で平成24年4月死刑の判決が出た。
 木嶋は小学校のころ、ピアノ教師の額面500万円の預金通帳を盗んだ。19歳で男と強暴し他人の預金通帳800万円と印鑑を盗み、家庭裁判所の保護観察処分を受けた。その後、万引きを2回、銀行のATMで現金を窃盗、詐欺罪で1回の犯罪を重ねていた。
 木嶋は北海道・別海町の出身。高校を卒業するまでこの町で暮した。上京し、目黒区祐天寺に住み、ケンタッキーフライドチキンに入社した。2009年9月に逮捕されたときは西池袋に住んでおり34歳だった。平成14年ごろネットで知り合った松戸のリサイクルショップの経営者福山氏と知り合い、福山氏が平成19年8月に死亡するまで7400万円も木嶋の銀行口座に振り込まれていたことである。死亡の原因は不審死であった。直前に木嶋が練炭を購入していたが、福山氏は司法解剖されなかったため立件できなかった。
1829 映画「最強のふたり」原作本 A Second Wind
Date: 2012-9-08

おすすめ度 ★★★★

フィリップ・ポッツォ・ディ・ボルゴ 著  アチーブメント出版  発行:2012年9月

 大富豪の家系に育ったフィリップは、ベアトリスとの間に子どもが出来たが、あと半年で出産という時期に出血してしまい流産する。2回目も3ヶ月で流産。3回目はベアトリスの妊娠高血圧症候群により、胎児の方がこの病気に負けて動くのを停めてしまった。4回目は7ヶ月だった。ベアトリスは肺塞栓が2箇所見つかり1年後癌も発見された。アメリカで養子縁組をする。3歳の女の子レティシアだ。一家はフランスに戻る。2人目の子どもを養子縁組する。ロバート=ジーンという男の子の赤ん坊だった。
 娘のレティシアが13歳の誕生日を迎えた後、42歳のフィリップは10年来のパラグライダーで事故に会い首から下が麻痺してしまった。当初は寝たきりだった。妻のベアトリスは明るくフィリップを励ました。入院3ヶ月で子どもたちを面会に連れてきてくれた。
ベアトリスは16ヶ月間、フィリップのそばを離れなかったが敗血症のために死亡した。
リハビリを始めて1年。パリの中心部に引っ越した。叔父の紹介でフランソワという男を雇った。しかし彼は時間に遅れ酒におぼれるようになった。車事故を起こしたことをきっかけに解雇した。
 新たに介護人を募集すると90人が応募した。最初に来たアブデルを雇うことにした。まっすぐで状況を読むのがうまい。すぐ手を出すが、自分への扱いは丁寧だった。
 フィリップはクララという女性と文通を始めた。口述した言葉をタイプに打ってもらって送っていた。
 アブデルが来てから、フィリップは再びパラグライダーに乗ってみた。アブデルも騒ぎながら体験した。フィリップはアブデルの女性との接し方に感心していた。声かけられれば嫌がるわけでもなく決して、フィリップには出来ないことだった。
 やがて、フィリップはエジプト人とスーダン人の間に生まれたララ・バディージャと再婚する。バディージャには小さな女の子サバーがいた。そして二人の間にも2人の子どもを設ける。
 現在は60歳。
1828 最果てアーケード
Date: 2012-9-05

おすすめ度 ★★★★

小川 洋子 著  講談社  発行:2012年6月

 ほんの十数メートル先は行き止まりになっている小さいアーケード。2階建ての店舗兼住まいの二階建ては古ぼけていた。ステンドグラスの屋根はすすけ薄暗い日しか通さない。近くの路面電車が通ると一斉にガラス戸は震えて音をたてる。
 このアーケードの大家は父だった。父は私が16歳のとき、町を半分焼ける大火事で亡くなった。
 アーケードの突き当たりに中庭があった。そこはひょろひょろの木が2、3本植えられ手入れもされていないが、太陽の光を直接浴びることの出来る場所だった。
 昼休みに転寝したり、夕方冷たいものを飲んだりする憩いの場所だった。
 アーケードには使い古しのレースを売る店があった。二ヶ月か三ヶ月に一度、衣装係だったという老婆がやってきていた。あるとき、ミシンにうつぶして亡くなっていた。
 私にはRちゃんという友だちがいた。彼女はアーケードの突き当たりの中庭によく来た。私が本を読んでいるとRちゃんは百科事典を一ページずつ読んでいた。第5巻の「し」のところまで読んでいた。10巻が最終巻だったからさいごの「ん」はどうなっているのだろうと楽しみにしていた。でも、Rちゃんはやっかいな病気にかかってあっという間に亡くなった。
 アーケードの義眼屋さんにラビトというウサギの飼い主さんがやってきた。だが、買わないでお店の人と話をしていくだけだった。義眼屋さんは剥製の動物も扱っていた。紳士おじさんからRちゃんが亡くなった頃、ラビドというあだ名の男の子が死んだと聞いた。ウサギの飼い主さんはあれ以来やってこなくなっていた。
 アーケードの入口には輪っか屋さんがあった。ドーナツ屋さんだ。もう40年近くドーナツを揚げるのが楽しくてしょうがないというふうにお店に立っていた。
 レターセットやカード、万年筆を扱う紙店シスターだ。シスターといっても姉妹ではなく姉と弟でお店をやっていた。
 火事があった日、私はアーケードの勲章店から頼まれた配達をしていた。父とはじめてデートをするために7時半に映画館にいくはずだった。映画館は熱でゆがんだ骨組みだけを残して跡形もなくなっていた。映画館の厨房でおこったガス爆発が原因だった。
1827 女警察署長 K・S・P
Date: 2012-9-01

おすすめ度 ★★★★

香納 諒一 著  徳間書店  発行:2012年7月

 村井貴里子はこの春からK・S・Pの署長になった。歌舞伎町スペシャルポリスつまり歌舞伎町特別分署の署長である。
 貴里子は警備部長の畑中文平から3年前アメリカで盗まれたヴァイオリンの現在のありかを見つけ出して取り戻して欲しいと頼まれる。しかも、秘密裏に。
 貴里子は悩んだ末、部下の沖に相談する。ヴァイオリンは世界的に有名なバーバラ・李が持っていたものだ。バーバラ・李は13歳で国際コンクールで優勝した。
 バーバラ母子は貧しい生活をしていた。高価なヴァイオリンは誰かから贈られたものだろう。ヴァイオリンにバーバラ・李の出生の秘密が隠されているのではないか。
 横浜の中華街で、女を連れ去ろうとする男たちに遭遇した。貴里子と部下の谷川はすぐさま助けようとするが、谷川は銃殺されてしまう。貴里子も観念した。そこへ部下の円谷太一に助けられる。
 ヴァイオリンは3年前に朱向紅に売ったという情報を得た。兄の朱栄志とともに新宿に乗り込んだ爆弾魔だった。
 バーバラ・李から朱栄志は私の弟だという言葉を聞く。チャイニーズマフィアの親玉は私たち姉弟の祖父で自分の父は、祖父の息子の李光輝であるという。
 沖の父は3年前から行方不明だった。提灯作りをしていた。父に朱栄志から脅しを掛けられていた。
1826 ダンス・ウイズ・ドラゴン
Date: 2012-8-30

おすすめ度 ★★★★

 村山 由佳 著  幻冬舎  発行:2012年5月

  滝田オリエは31歳。夕方から開館するという夜の図書館で働くようになる。井の頭自然文化園の中にある図書館だ。午後5時半から翌朝9時まで。スタッフはオリエを入れて3人。
館長と案内をしてくれたスグルだ。オリエは夫から離婚届を送られていた。届けを出す決心がつかなかったが、自宅マンションの売却と新たに求めた家に越すことになった。
 新しい家は井の頭文化園のそばにある洋館の家だ。一目見て気に入ったオリエは引っ越してきた。
 新しい家の屋根裏に始めて踏み入れたとき、龍のような生き物がオリエを襲った。オリエは逃げるどころか魅入られて動けなかった。自我も自意識も吹き飛び全身を痙攣させながら気を失った。
同僚のスグルがオリエの変化を意識した。スグルには妹がいた。母が再婚したとき、伴侶となった男の連れ子だった。スグルが9歳のときで、その連れ子は2歳の女の子だった。スグルはその女の子マナミが好きだった。
 24歳になったマナミは兄の図書館を訪ねた。マナミも兄のスグルを愛していた。しかし、マナミには口に出せないことがあった。5歳のころのマナミは龍のお手付きを受けたという記憶だ。マナミは大学の宮前教授に相談する。宮前教授は夜の図書館の館長と知り合いだった。
 キリコは霊能者、占術師でもない。前世を見せる力があると主張しても誰も信用しない。53年前に世田谷に生まれた。スグルのこともオリエのことも見えていた。マナミとスグルのことも。
マナミとスグルは昔暮らした家を訪ねた。そしてマナミはスグルに告白する。兄と一緒にいられるなら地獄でもかまわない。目を開けると兄と思われた男は龍の姿になっていた。
1825 最終退行
Date: 2012-8-23

おすすめ度 ★★★★★

 池井戸 潤 著  小学館文庫  発行:2011年7月

 終戦直後の昭和21年4月に東京湾からM資金の一部と思われる金塊が引き上げられた。M資金の実在可能性を示唆する当時の報告者の久遠次長は、現在は東京第一銀行の会長である。
「M資金」は戦後社会の裏側で語り継がれ、謎の闇資金。バブル崩壊で銀行マンとしての矜持を保って生きようとする副支店長・蓮沼鶏二の闘い。蓮沼の上司、支店長の谷は田宮金属工業に対し「融資予約」をエサに返済を迫り、支店長の「融資」の言葉を信じた田宮社長は3億を返済するが、その後融資は受けられず、不渡りを出して倒産する。そして自殺。谷支店長はその死亡保険金を差し押さえようとする。蓮沼はそれを制止する。〈「保険金は、田宮さんの遺族が生きていくために必要最低限の金だ。田宮さんはそれを遺すために死んだ。それは差し押さえるべきではない」と言及し、谷と対峙する。倒産会社に対する債権回収の阻害を理由に、蓮沼は人事から長崎中央水産への出向を命じられる。しかし「銀行員である前に私たちは人間ですよ」という。
今なお、久遠会長は旧日本軍の軍資金情報を元に東京湾を東京海洋開発に融資をしながら捜査していた。滝本や新川がそれに加担していた。「貸し剥がし」の一方で赤字の不振な企業への融資に疑問を持った蓮沼。腐った体質を何とかしていかなければならないと考えていた。
「最終退行」とは銀行支店で最後の最後に戸締まりをして退出することで、副支店長兼融資課長の蓮沼はいつもいつも「最終退行」となっていた。
1824 かばん屋の相続
Date: 2012-8-18

おすすめ度 ★★★★★

 池井戸 潤 著  文春文庫  発行:2011年4月

  池上信用金庫の本門寺支店の小倉太郎は、商店街の取引先である「松田かばん」の社長が急死した。ところが、松田かばん店はかばん店を継いでいる次男ではなく、大手銀行に勤務する長男が継ぐと言う。生前、次男にはかばん店のおやじは店を継がないように言っていた。
 次男均は別の場所に店舗を構えた。すると店員のうち15人が均の元にやってきた。新しい社長である長男亮のところにいる社員は全部で30人ぐらいだった。半数が辞めたことになる。
 亮は池上信用金庫に1億円の融資の申し込みに来た。しかし、小倉は躊躇した。亮は現場を知らない。従業員も辞めている。おまけに松田かばん店は信用の得られない小さな取引先の保証人になっていた。その額は5億円になっている。
 兄の窮状を聞いた弟は、生前に贈与された5千万円の小切手を持って兄に渡そうとするが、兄は受け取らなかった。松田かばん店は自己破産する。
 松田かばん店が競売に掛けられた。小倉は均に競売にでたかばん店を買い取るための資金を融資する。
 均は遠回りだったが、おやじの望んだ姿におさまったことに満足する。
1823 罪責 潜入捜査
Date: 2012-8-11

おすすめ度 ★★★★★

 今野 敏 著  実業之日本社文庫  発行:2012年4月

  小学校のゴミ捨て場に注射器が捨てられていた。不法投棄をしたものがいる。その注射器で子どもたちが遊んでいた。見つけたベテランの教師はすぐさま注意をするが、子どもの一人は針を誤ってさしてしまう。やがてB型肝炎を発症する。
 このことを上司に報告するが、隠蔽しようとする。しかし、教師は立ち上がる。すると、それに不満を持つ業者側の人間に教師の長男が自動車事故で3ヶ月の重症、娘は輪姦されその様子をビデオまで撮られた。まだ高校生だった。そして、当の教師も殺される。妻はおびえきってしまった。
 環境犯罪研究所の佐伯は立ち上がる。この研究所は環境省の外郭団体だった。佐伯は警視庁からの出向でここで働いている。暴力団への憎しみが膨らんでいった。所長も佐伯のヤクザ狩りに同調している。
 産業廃棄物業者とヤクザのつながりを調べ、教師を殺したとされる者の見当も付いた。教師の娘は薬漬けにされ思考能力が低下していった。
1822 千年鬼
Date: 2012-8-6

おすすめ度 ★★★★

 西條 奈加 著  徳間書店  発行:2012年6月

 小売酒屋で徳利を洗う幸介は10歳。家には身体を痛めた父がいる。母は半年前に暴れ馬によって死んだ。朝から何も食っていない。近所のお糸がくれた炒り豆3粒に腹が鳴った。口に入れようとすると自分よりももっとやせた3人の子どもがいた。幸介はもらった豆を3粒分けてやる。子どもたちは喜んで食べた。
 すると、子どもたちは過去の世を見せることが出来ると言う。幸介は「母ちゃんに会いたい」という。会えないが、見るだけなら見えるというので、半年前にタイムスリップする。
 母は暴れ馬のせいで大八車の下敷きになって死んだ。馬が暴れたのは足に犬が噛み付いたからだ。犬は鼻を蜂にかまれていた。蜂には紐がついていて、豆をやった3人の子が遊んでいた。母を死なせたのは、結局この3人だと分かった。3人は頭を下げる。幸介は泣いた。これまで我慢していた分、存分に泣いた。父はあの時、腰を痛めていた。
 翌日、紙袋に入った「黄白膏」という薬が幸介の家の前においてあった。それは3ヶ月1日も欠かさず届けられた。父の傷はすっかりよくなって、再び看板書きをするようになった。「また仕事をまわしてもらうことにした」という。
 薬を届けたのは3人の子鬼たちだった。子鬼たちは自分たちの精を出して傷に効く薬を作ってくれていた。
 幸介の口から黒い塊がでた。親鬼はそれを拾った。「これで幸介は心安く生きていける」と。黒い塊は11個になった。これまで800年ためてきたものだった。
1821 東京タワーが見えますか
Date: 2012-8-4

おすすめ度 ★★★★

 江上 剛 著  講談社  発行:2012年6月

 「東京タワーって優しい気持ちの時には鮮やかに見えるのです。でも優しさをなくすと霞んでしまいます」と加藤課長が言った。
 僕の父は東京タワーが見える80坪の土地に工場併設の自宅に住んでいた。
 銀行員になった僕は父にこの土地を有効利用するためにマンションにしたらどうかと勧めた。
 加藤金属は古い取引先だった。マンション建設融資を行い自分の営業成績も上がった。しかし、マンションはやがて不良債権になってしまった。社長の自宅はマンションの最上階にあった。社長の母は寝たきりであった。競売が成立したと同時に社長の母は亡くなった。
 年末付けで僕は銀行を辞めた。その後、ミズナミ銀行は総会屋への不正融資で家宅捜査を受けた。
 父と一緒に働くようになって、父の技術は本物だと思った。僕は資金繰りや材料の調達が仕事だ。マンションにしなくてよかった。浅はかな考えだったと気がついた。  ほか5編

1820 写真集 昭和の変化咲き朝顔
Date: 2012-8-2

おすすめ度 ★★★★

 小川 信太郎 著  中日新聞本社  発行:1981年5月

 花の咲き方は一重咲き(単弁花)、八重咲き、牡丹咲きに分けられるが、更に花の形から 梅咲き、桔梗咲き、桜咲き、石畳咲き、錨咲き、抱咲き、撫子咲き、イギリス咲き、糸切り咲き、菊咲き牡丹、茶台咲き、車咲き、風鈴咲き、鳥甲咲き、髭咲き、管弁咲き、髭交じりあぶみ風鈴咲き、獅子咲き牡丹、采咲きなどがある。
 変化咲き朝顔の名前のつけ方は古くから習慣上決まっていた。葉、茎、葉の特徴に説明をつける。葉の色、葉の癖、地合い、形の順。
 花は色、模様、弁の変化、花質の順。例)青掬水葉紅髭交風鈴獅子咲き
 変化咲き朝顔は人工交配によって作られる。種が取れない。
1819 朝顔百科
Date: 2012-8-1

おすすめ度 ★★★★

 朝顔百科編集委員会 編  誠文堂新光社  発行:2012年3月

 朝顔は奈良時代末に遣唐使によって中国から伝来した植物である。朝顔の種が下剤や利尿剤として使用されていた。
 江戸時代には変化咲朝顔を作り出し、園芸グループが出来上がっていった。
 名古屋、京都、肥後様式の変化咲き朝顔や巨大輪朝顔の育種と栽培方法を記してある。
 写真つきで朝顔の名称もでている。
1818 暗転
Date: 2012-7-31

おすすめ度 ★★★★★

 堂場 瞬一 著  朝日新聞出版  発行:2012年6月

 「週刊タイムズ」の編集者辰巳吾朗は、いつもは11時ごろに乗る電車を今朝は人に会う約束で通勤ラッシュの電車に乗り込んだ。都県境の鉄橋近くで電車はスピードが増している。と、鉄のきしむ音、超満員の電車は脱線した。辰巳も一瞬で目の前の光景が暗転した。人の上に乗っている。方目を開けて窓の外へ出る。そして気を失った。
 気がついたら腕に黄色のタグがはめられていた。病院に運ばれた。電車で後ろにいた女性がどうなったか気になった。彼女は偶然にも同じ病院にいたが、程なく亡くなった。
この事故で80人以上が亡くなった。
 事故を起こした東広鉄道は4千人を超える社員を抱える大きな会社である。辰巳が思うに明らかにスピードの出しすぎであった。が、運転手が運転中にメールをしていたと取り上げられる。しかし、それは会社側がつくったシナリオだった。会社ぐるみで事故の原因を隠蔽している。
 東広鉄道の家宅捜査が始まる。それでもなかなか原因が発表されない。辰巳は自分がその電車に乗り合わせた被害者である立場からも記事を書こうと思った。
1817 だからこそできること
Date: 2012-7-26

おすすめ度 ★★★★

 武田 双雲  乙武 洋求@著  主婦の友社  発行:2012年6月

 武田双雲は1975年生まれ、東京理科大学卒で2児の父。書道家。3歳のときから書道家の母に教えられ、天才だといわれながら育てられた。
 乙武洋汲ヘ1976年生まれ、早稲田大学卒業で2児の父。元教師、現在保育園開設に携わる。手足がないことから車椅子で生活。「五体不満足」が500万部を超えるベストセラーに。
 武田と乙武の会談はツイッターで「教育談義をしましょう」という武田の呼びかけで始まった。
 乙武は寝たきりになるかもしれないと言う赤ちゃんから「起きた」「歩き出した」「字を書いた」・・・と両親を感動させ、プラスプラスプラスで褒められて育った。負けず嫌いでもあった。手足がないことを悲観したことはなかった。ツイッターで「おまえ手足がないだろう」と書かれたとき、「だからえらそうにするな」という意を汲み取り、ユーモアで返そうと「今のところは手足がない」と返事した。もし、手足があったらきっと鼻持ちならない嫌なやつだったかもしれないという。小さい頃から空気を読める子になっていた。トイレも自分ひとりでできないから人に他のなくてはいけない。頼めそうな人を見分けることも身につけた。現在はパソコンも結構早く打てる。
 教師は3年の契約だったので3年で終了した。
 武田はそんな乙武を想像以上にフルチン(かざらなくさらけだして)でやってきた人、他人をうらやましく思わないタイプだ凄いと感じた。
1816 竹島
Date: 2012-7-24

おすすめ度 ★★★★

 門井 慶喜 著  実業之日本社  発行:2012年6月

  土居健哉は正月に獅子舞で坪山博宅を訪れたのを縁に頼まれたことがあった。それは竹島のことを書いた和本を売ろうとしていた。
和本には竹島は日本のものでもあるが、韓国(当時は李氏朝鮮王朝時代)のものでもあるという書物である。
 坪山の先祖が残した書物から、1834年(天保5年)おおしけに会い松島(竹島)に漂着した。乗組員12人である。その際に当時高価なあわびを捨てさせた。抜け荷をしたことになるからだ。ここで、「抜け荷」がでてくる。抜け荷は外国貿易を意味する。つまり竹島は外国だと言うことになると解釈できる。ところが、抜け荷とは「いりこ」「ほしあわび」「ふかのひれ」が統制された品であって、それ以外は「抜け荷」と呼ばれた禁制品であった。抜け荷=外国貿易ではなかった。このことから、解釈によっては韓国の領土でもあるといえるし、日本の領土でもあると解釈することが出来る。
 土居はこの和本を日本にも、韓国にも売ろうとしていた。竹島は李承晩ラインで韓国領と一方的にライン内に入れてしまったことから、韓国側は竹島が自国の領土と占拠してしまった。
 和本の値段に韓国側は7千万円を提示する。日本の外務省も韓国大使との話し合いで難航していた。
 当然、土居は狙われる。太ももに隠し持った和本はなかなか盗まれなかった。
1815 存在しなかった男
Date: 2012-7-22

おすすめ度 ★★★★★

 大村 友貴美 著  角川書店  発行:2011年9月

 北館奈々はハネムーン旅行からの帰り、タイを出発し朝羽田に着く。6時間のフライトだったが、夫の津嶋は飛行機に乗ってしばらくして「知り合いを見つけたから」と席を立った。
羽田に着陸しても戻らなかった。
新居となる羽田1丁目のマンションにも戻っていなかった。津嶋がいなくなって家賃13万円はとても払っていけない。2月4日に結婚式を挙げたばかりなのに、何がどうなっているのか。
そこへ警察から津嶋らしい男の死体が上がったという。所持していたパスポートが津嶋のものだった。マンションにあった歯ブラシやヘアーブラシなどから津嶋のDNAと一致した。
 奈々は警察に津嶋の失踪を話すが、カメラにも津嶋は映っていなかった。意図的に奈々だけを残して津嶋が映っているものは消されていた。津嶋の本籍は東京と言ったが、青森の五所川原市が出生地だった。青森に尋ねて、旅行会社に勤務していたと話すと不審がられた。
 津嶋は母と祖母の二人の介護をしていたという。介護施設に預かってもらう日だけアルバイトをしていたが、生活は困窮していたという。
奈々の知る津嶋は月100万はする新宿のタワーマンションに41階に住んでいた。実家は東京の初台の数奇屋風の塀ある家が実家だといったが、尋ねると他人の持ち物だった。両親は亡くなったと聞いた。おじが相続したという家にも行ったが津嶋というものは身内にはいないという。
何を信じればいいのだろう。おまけに警察からは津嶋という男はタイへ出国した記録がないという。奈々の狂言も疑われた。
 津嶋の友人に日野原という独身の男がいた。彼は学校卒業後就職はせず、パソコンで財を成していた。41階のあのマンションは日野原のものだった。津嶋は日野原なのか?
1814 すみれ
Date: 2012-7-20

おすすめ度 ★★★★

 青山 七恵 著  文芸春秋  発行:2012年6月

 私が中学二年生のとき、我が家には父と母の友人でもあるレミちゃんがいた。
父とは母大学生の卒業式をまたずに私が妊娠したことが判明し、夏に籍を入れた。
そして、母は私を産んだ後、2年後に再び学校へ戻り、大学院まで進んだ。
上司が小さな出版社を立ち上げ母はそこで働いた。今は美術関係の編集の仕事をしている。
私はお手伝いの代わりをする祖母に育てられた。父は広告の本を出版する会社を経営していた。
 レミちゃんは父と母と大学で一緒だった人だ。年は37歳から38歳ぐらいだ。
フリースの上着にジャージーをはいて家でごろごろしていた。心の病だそうだ。
レミちゃんは予想に反して1年以上も我が家にいる。レミちゃんとは母に話せないことも話した。
ところが、レミちゃんの誕生日に皆を呼んでいたのに、不機嫌になったレミちゃんが会の雰囲気を壊した。
私はレミちゃんに「レミちゃんって小説の中の人みたい」と言ってしまった。ひとりでかわいそうな人になっていた。
レミちゃんには一生懸命がんばるという力が足りないのだろう。
母がレミちゃんに「妊娠したので、そろそろ我が家も考えなくてはいけない」と言うと、レミちゃんははっとなり「ごめんなさい。居心地がいいので長く居すぎてしまった」と出て行った。
私は赤ちゃんができるのかと母に聞くと母は「妊娠はうそだ」という。
「そろそろレミちゃんに自立してもらわなければ」と。
あれ以来、レミちゃんからぴたりと連絡が途絶えた。「レミちゃんはいい加減、自分の力で生きるべきだ」と母は言っていた。 
1813 その愛の向こう側
Date: 2012-7-14

おすすめ度 ★★★★

 小手鞠 るい 著  徳間書店  発行:2012年6月

 おととしの10月みどりは帰らぬ人になった。本宮修平は多岐川優奈と待ち合わせにみどりとよく行ったカフェを指定した。
 修平はフリーライターだ。28歳のとき、31歳のみどりにプロポーズした。あれから2年たつ。
 「カノジョに死なれたかわいそうなオレッチ」というブログを公開している。優奈はそこへコメントしてきた。
 優奈と会うことになった。彼女は1年ほど前に友を45歳の20年来の友小林雛子を失ったという。自殺だと片付けられたが、駅のホームから突き落とされたのだ。背中を押されて電車に飛び込むところを見たという。突き落とした人は優奈のフィアンセの牧村純也だという。
 修平は純也に会う。純也は小林雛子の夫に頼まれて雛子をつけていた。雛子は他にも若い恋人がいた。雛子は夫から永遠に愛されたくて死んだという。
 雛子の夫大輔に会う。「私どもの愛にはそれぞれ向こう側があった」という。雛子の死は結局本人しかわからないと修平は思った。
 優奈が先週友達と鎌倉に行ったと言う写真を見せられた。そこにはなんと優奈のとなりにみどりが写っていた。しかし、その人は日高ミチルだった。高校時代から「入れ替わりごっこ」を楽しんでいたと言う。
1812 ダーティ・ママ ハリウッドへ行く
Date: 2012-7-13

おすすめ度 ★★★★

 秦 建日子 著  河出書房新社  発行:2011年12月

 小宮山宏美 「ハリウッド」勤務源氏名ジェファニー 25歳が六本木のマンションでプラダのドレスを着たままなくなった。管理人からの通報である。
 現場にベビーカーを押してラッセルこと長嶋葵と先輩の丸岡高子が駆けつける。ベビーカーの中には高子の息子橋蔵がいた。橋蔵は1歳と4ヶ月である。
 高子は42歳で橋蔵を産んだ。相手はダメ役者の香山大輔で出会ったその日にヤッてしまい2ヵ月後に妊娠を告げると大輔は逃げた。
 しかし、高子は執念深かった。認知と毎月の養育費を請求された。高子は橋蔵を負ぶって仕事を続けた。高子の検挙率が高い事で所内の各課長が集められ特別に子連れが黙認された。
 ところが、徐々に子育ては後輩に押し付けられ、若い刑事が休みがちになり休職届けが出されるようになった。
 刑事になりたかった葵は交通課から抜擢され橋蔵を見る羽目になった。2ヶ月、いまだに頑張っている葵。
 「ハリウッド」と言う店に潜入捜査に入ることになった葵。デルヘリ嬢である。殺人事件の解明のために止むを得ない。そこには、オリンピック出場を逸したが、バッテリーを組んだ先輩の敦子がいた。敦子はデリヘリの店長だった。
 葵は恋人の卓也も刑事課へ行きたがっていたことを知っていた。尿検査で葵は妊娠に気がつく。
 葵の手で敦子に手錠をかけた。

1811 尋ね人
Date: 2012-7-12

おすすめ度 ★★★★

 谷村 志穂 著  新潮社  発行:2012年5月

 李恵が函館から上京したのは18歳のときだった。服飾関係の専門学校へ行き、一緒に学んだ寺尾巨樹と暮し始めた。巨樹はすでに自分のブランドを立ち上げていた。李恵は懸命に巨樹を支えていた。気がつけば自分がデザイナー死亡であったことも忘れ、巨樹のための補佐役に明け暮れ、会計士と業績落ち込みの策を練ったり、父の残してくれた金さえも使い果たしていた。
 そして、巨樹の若い子との裏切り、李恵は函館に戻ってきた。
 母は癌だった。その母が22歳の頃、親しくしていた大橋藤一郎という男を捜して欲しいと頼まれる。母と藤一郎は文通をしていた。ちょくちょく仙台から藤一郎は母に会いに函館まで来ていた。父と結婚する前のことだ。
 その藤一郎がぷっつりと連絡が途絶えてしまった。手紙も戻ってくるようになり行方が分からなくなってしまったと言う。
 李恵は地元に出来た家電量販店でアルバイトしながら、母の昔の恋人を探すことにした。
 藤一郎が仙台の大学に行っていたことを手がかりに東北大学の卒業者名簿、母の手紙を読みなおして、友人の名前を見つけ尋ねてみた。手紙の住所には藤一郎の家はなかった。
 そして、藤一郎には妻がいて、本名は湯原と言うらしいこと。学校は中退し、大阪のバーで働いていたことなどをつかむ。しかし、湯原は船の中からの手紙を最後に連絡は途絶えた。
 湯原は洞爺丸の遭難で命を落としたのではないだろうか。
1810 エリートの転身
Date: 2012-7-10

おすすめ度 ★★★

 高杉 良 著  光文社  発行:2012年6月

 「エリートの転身」では、日興證券取締役株式本部長の宮本から呼び出しがあった。神田光三に是非、本店営業部に「ぜひもらい」がかかっていると言う。営業本部はノルマがある。神田は上昇銘柄の的中率も高く、顧客に迷惑をかけたことはなかった。
 営業本部に移り、神田は立川支店長になった。同期にトップに躍り出た。しかし、部下が先物取引で損失を出した。損失は5千万円だった。神田はこれを機に退職をした。40歳になったばかりだった。
 義父の大東カカオ株式会社でチョコレート職人になることを決めた。スイスに6ヶ月の研修に行く。帰国後、ショコラティエ・エリカを設立し、徐々に業績を伸ばしていった。
 30年後、息子に社長職を譲るとき、年商4億円、従業員20人になっていた。

 「エリートの脱藩」では、光陵油化の業績低迷ぶりは際立っていた。後藤治夫は、飲みながら相手に特別調査役になると伝える。窓際族だ。次の仕事を見つけるためだった。
 そして、共和精密工業の200人もいない会社に行くことにした。光陵油化の3割り増しの給料だ。
 そこへ光陵油化の社長吉岡が自宅を訪ねてきた。石油化石産業を超悲観的にみているが、必ずよみがえるといい、留意を求めた。しかし、後藤は先方に確約したこと、中小企業で出直したい旨を伝える。

 ほか、2篇の短編。
1809 女たちの家 上
Date: 2012-7-1

おすすめ度 ★★★★

 平岩 弓枝 著  文春文庫  発行:2012年5月(初出:昭和54年新聞連載)

青山はるみが再婚で嫁いだとき、夫の長男誠は18歳の高校生だったが、7年前に静岡市内で内科医を開業した。
 はるみの夫は公務員だったが59歳で退職し、奥浜名でペンションをやる計画だった。ところが、突然庭でなくなった。はるみは49歳であった。
 はるみの姉のけいは渋谷と青山でコインランドリーを2箇所経営していた。30代の終わりに未亡人になった。長男の要助と咲子がいた。自宅を壊し、マンションに買えたのもけいだった。
 要介は東大をでたというのに料理学校へ通っていた。自分の店を持ちたいと思っていた。
 はるみの夫成一の弟成二は、夫を亡くしたはるみの財産分与などの法的なことに力を貸してくれた。
 初七日を待たず誠から成一の退職金から3千万を借りる約束をしていたという。誠の家の建築を予定していた。妻が三分の一、息子に三分の二が相続される。(昭和55年当時)
 成二には妻良子と小さいころ養子にもらった花緒と高校生の六助がいた。花緒は養女の遠慮かお手伝い以上の家事をやっていた。
 要介と花緒が付き合っていた。互いに必要としていた。要介ははるみの奥浜名のペンションの土地を百坪ほど借りたいという。要介が300万、花緒が100万、母のけいが100万出資してくれるという。それで店を持ちたいので、はるみに相談してきた。500万程度では不足であろうが、はるみを頼りにしているのがわかったが快く引き受ける。
1808 女たちの家 下
Date: 2012-6-30

おすすめ度 ★★★★

 平岩 弓枝 著  文春文庫  発行:2012年5月(初出:昭和54年新聞連載)

 
 奥浜名のペンションは、要介の叔母のはるみと要介と哲夫の3人で始めたばかりである。
要介には花緒と付き合っていたが、急に京都の酒問屋に嫁いでいった。
 ところが花緒がいきなりタクシーでペンションにやってきた。バックも持たずである。
聞くと嫁ぎ先では義父は愛人のところに行ったきり戻らず、家では夫と姑がべったりとくっついて、毎晩酒を飲まされて花緒が先に寝てしまうことが重なっていた。飲んだ振りをして夜中に目が覚めると隣に夫はいなく、二階の姑の部屋から忍び足で戻る夫。そして、二人が親子でただならぬ関係であることを知り、いても立ってもいられなくてタクシーで浜名湖へ戻ってきてしまった。はるみはその話を聞いて仰天する。夫の大学受験の頃からの関係だと言う。新婚と言っても1回だけあっけない関係があっただけだった。
 花緒は戻らないといい、はるみも返す気がない。そこへ姑が尋ねてくるがはるみもかかわりのない風を装う。ところが、夫が今度は放火未遂で捕まる。これで、離婚の理由ができたと喜ぶ。やがて花緒は離婚する。
 要介と花緒は6ヶ月を過ぎたら結婚することになった。
ペンションでは5日宿泊の老人が支払いをしないまま消えたり、子供連れがやってきてカーテンを裂いたり部屋を汚したりと頭が痛い。徐々に客も増えていく。
 哲夫の元妻は、離婚後妻子のある男と付き合い、そして心中した。良子も夫と別れようかと40歳の息子六助に相談する。六助は父親と一緒にスッポンの養殖を手伝っている。
娘の良子は宇野先生と結婚すると言う。哲夫もペンションの手伝いに来てくれていた咲子と結婚すると言う。
1807 勉教
Date: 2012-6-29

おすすめ度 ★★★★

 吉村 達也 著  角川ホラー文庫  発行:2012年4月

 世田谷の私立青葉台小学校の3年1組の担任吉野亜夜花が屋上から飛び降り自殺した。
亜夜花はモンスターペアレントという執拗に教師に因縁をつけてくる親がいた。そのことで悩んでいたのだろうか。
しかし、亜夜花の部屋を操作した警察は驚いた。部屋には人間の指が15本並んで置いてあった。
 最近起こっている2組の殺人事件で被害者のアベックが指を切り取られていた。そのフィンガー・ハンター事件と呼ばれていた。亜夜花はその犯人なのだろうか。26歳の教師である。
 3年1組の同じクラスにカタカナの名前の子供たちがいた。ゼロ、ソラン、レオ、ケイト、ジュリーである。この5人は仲がよかった。iPadで情報を共有していた。その上、5人はIQが300と高く英語と中国語が理解できた。勉教という宗教を信仰していた。ゼロはコンピュータ・プログラミングのケイトはコンピュータ・グラフィックに長けていた。ソランは数学と物理の天才だった。レオは爆薬を製造を主体とする化学のプロだった。ジュリーは医学と植物学に長けていた。
 この子達の能力に気がついたのが亜夜花だった。そのことをレオの母に進言するが母親は亜夜花の話を違う風に理解し、PTAの仲間を集いモンスター・ペアレントになった。
 大脳が異常発達した5人の子供。警視庁超常犯罪捜査班の刑事たちはモデルや教師、占い師、動物園の飼育員の表の顔を持っていた。残された指から占い師の白雲斉は透しを試みる。
 レオは注射器で自分の母を殺す。ケイトは亜夜花がフィンガー・ハンターの犯人ではないという。
 5人は胎児のとき妊婦の超音波検査にヒントを得て、大脳の形成時にピンポイントで超音波を照射し生まれてきた子供たちであった。
名付け親はなんと青葉台小学校の校長片山だった。フィンガー・ハンターの真犯人は・・・・。
1806 硝子の鳥
Date: 2012-6-28

おすすめ度 ★★★★

 新堂 冬樹 著  角川書店  発行:2011年8月

  公安部に配属された日から架空の戸籍が与えれる。牧瀬香織を捨てて片桐梓になって4年になる。
交際して1年の恋人省吾にうそをつき続けなければならない。
 新宿区百人町。いまでは韓流タレントショップが軒を連ねる。歌舞伎町が危険地帯なら、百人町は無法地帯。
梓はその街で北朝鮮最大のマフィア組織「朝義侠」を調査していた。コリアンマフィアから覚せい剤を買ったという情報を元に梓はキャバクラ嬢と思わせてある店に通う。
朝義侠の壊滅に追い込むことこそ梓の使命なのだ。このエリアに何十人の「同僚」が任務についているかわからない。
 梓は店の者から「李がシャブを扱っている男」だと聞き出す。このあたりは「天昇会」という日本の組織が暗躍していた。その組織に情報を流す組織犯罪対策部の佐久間がいた。
情報を流す代わりに佐久間の懐には見返りが入る。ある店では気ままに遊べるという自由を謳歌していた。
 刑事部と公安部はそりがあわない。警察OBが天下る国際警備のトップである島内が隠したい事情を梓につかまれ、協力を求められた。梓の命を狙うようになった。
そのころ、省吾からプロポーズを受けた。身分を隠している身。応じられない梓。
 梓の捜査は徐々に核心に迫って行く。佐久間は身を守るために島内と朝義侠のトップ李を殺した。
 梓は父も警官だった。その父は犯人を追う際に発砲した件が問題になり自殺した。母の反対を押し切って刑事になった梓。
朝義侠の内膜を知り、恋人の省吾はその組織のナンバー2だった。省吾も命を落とす。
事件が解決し梓は日本を去る。佐久間は人を殺しながら問われることもなく刑事でいる。
1805 新月譚
Date: 2012-6-27

おすすめ度 ★★★★★

 貫井 徳郎 著  文芸春秋  発行:2012年4月

  短大を卒業して就職をした後藤和子は、春になる頃にはすでにその会社を辞めた。
木之内徹と出会ったのは次の就職先だった。木之内は33歳で和子より一回りも年上だったが起業し和子が受けた会社の社長である。社員4人の小さな会社だった。しばらくして和子は木之内に食事に誘われた。そして深い付き合いになる。だが、木之内は二股かけることにはなれているようで濃い化粧の女性と連れ立っているところを見た。やがて、その女性ともそっけなく分かれてしまう。和子は高校時代の友人季子に木ノ内のことを話した。偶然、会社の前で木之内と和子が一緒だったところに季子が通りかかり紹介する。
 そして、和子は今度の木之内の相手が季子だと直感する。季子が妊娠したと知り木ノ内は結婚する。和子は会社を辞める。結婚式には行かなかった。
 和子は面接に行くが落とされる。きっとこの地味な顔がいけないのだと両親に美容整形をすると宣言する。そして二重まぶたに、隆鼻、輪郭の手術をする。そして、きれいになって面接に行くと採用された。大手医療機器メーカーだった。当初は何かと気にかけてきた男性社員も声をかけなくなった。
 和子は小説を書こうと決心する。そして2作目の短編小説が受賞する。会社の上司は特別に執筆を許可した。ペンネームを咲良怜花と木之内が名づけてくれた。本が出版される。いい売れ行きだ。ところが、季子が流産したという。木之内は再び和子と付き合い始めるが、整形した顔に驚く。木之内との交際が会社に知れ、和子は結局会社を辞める。
 3作目はこれまでと違った作風で書き上げた。それが評判になった。木之内と季子は離婚した。
 和子と木之内は以前のように付き合い始める。やがて、木之内は会社を合併するという。パートナーが見つかったと。パートナーは女性だった。やがて、木之内はその女性と結婚する。子供が生まれ写真を持ち歩く普通の父親になっていた。
 ところが、木之内との付き合いが28年を迎える頃、木之内の子供が病気だという。難病で手術費用が1億円。土下座して頼む木之内に和子は金を融通する。
 ところが、和子から金を借りるように言ったのは木之内の妻だった。隠していたことはすべて妻が知っていたと分かり、和子は無気力になり絶筆宣言をする。
 出版社に勤める渡部敏明は、絶筆宣言をして8年が経つ咲良怜花にあってもう一度執筆しないかと自宅を尋ねる。その怜花が首都高速の玉突き事故で亡くなる。
1804 推定有罪
Date: 2012-6-16

おすすめ度 ★★★★

 前川 洋一 著  講談社  発行:2012年2月

 12年前に世田谷の公園で7歳の女の子が殺害された。犯人とされた男は、篠塚良雄という42歳の学習教材販売の訪問販売員だった。
 12年前のDNA鑑定で犯人であるとされた。が、当時はDNA鑑定は今ほど精密ではなかった。
 石原瑤子は45歳の弁護士。目立ちたがり屋、強欲弁護士と呼ばれていた。企業との訴訟の記者会見をネットで流すなど世間の注目を集めていた。
 瑤子は桂木から篠塚の無実を聞かされる。かつて週刊潮流記者加山は篠塚逮捕のきっかけを作る記事を書いた。きちんと検証していなかったことを悔やんだ。
 瑤子は篠塚を救う会で支援した。そしてついに篠塚は釈放になった。逮捕の決め手がDNAの鑑定結果のみだった。しかし、その鑑定は篠塚のものと一致しなかったのである。
 記者会見で週刊潮流の加山は篠塚に土下座をして検証記事を書かせてほしいと頼む。
 真犯人は警察内部の息子の犯行だった。
人々は新聞に書かれた記事が事実だと8割は信じている。逮捕されればそれが犯人だと思い込んでいる。起訴された99.9パーセントは有罪となる。これを証して「推定有罪」と表現する声もある。
1803 猫背の虎 動乱始末
Date: 2012-6-6

おすすめ度 ★★★★

 真保 裕一 著  集英社  発行:2012年4月

 大田虎之助は身の丈6尺近い長身で猫背になってしまう。まだ24歳の働き盛りとあって、父が3年前に他界した。16歳から見習い同心をしていた。今も南町奉行所に勤めている。
 そこへ地震が起こった。雨戸が倒れ柱が折れる音がした。母と姉たちは無事であった。江戸に火の手が上がったと聞く。すぐに奉行所に駆けつける。またゆれ戻しが来ている。
 人手が足りない。町衆みなで力をあわせるように声をかけ、武家屋敷には「どうかお力をお貸しください」と頭を下げた。奉行所では見回りと炊き出し半に別れて住民の救護に当たる。
 飯を炊いたこともない虎之助は炊き出しに女性たちに助けを請う。「私が集めましょう」というものが現れ20人ほどの女性が集まる。
 そこへ包丁で男を刺す野郎が出てきた。この非常時に。虎之助は包丁を持ち歩いていた男を炊事をする仕事につかせる。幸い相手のけが人は浅傷であった。
 亭主が地震になっても戻ってこない。三年前から亭主が浮気をしていたのを知っていた千香は浮気相手の家に行ってみる。柱の下から子供と女が出てきた。女は頭を怪我をしていた。「この子を預かっているから炊き出しでも・・」とだまし千香は赤ん坊を連れ出す。途中で捨てようと思いながら、赤ん坊を抱えた姿を不審に思った長屋の女から乳とオムツを替えてもらい一晩泊まって家に戻ると、赤ん坊の母が死んだことを聞かされる。おまけにこの赤ん坊は亭主の子ではなく、通りをひとつ間違えたところの女の子だった。亭主の浮気相手は一人だけではなかったのだ。
 世の中は殿様の後継のことで揉めていた。水戸に行った一ツ橋家の慶喜になるか10歳の縁者になるかといううわさだった。
1802 破戒者たち 小説新銀行崩壊
Date: 2012-6-2

おすすめ度 ★★★★

 高杉 良 著  講談社  発行:2012年3月

 新日産興銀行設立に越智信治と平田斉之助と村木豪が鳴り物入りで記者会見した。
越智は無名の金融業者であるが野心家であった。平田は製菓会社社長、村木は有名な金融コンサルタントでMファイナンス社長であった。
 2004年4月をめどに銀行の立ち上げを金融庁より受理された。資本金は20億円。預金残高180億円を目指していた。記者会見は2003年8月の20日のことであった。
 越智の右腕に倉田克己がいた。高校時代のクラスメートだという。二人とも大学は異なったが有名私立大学出である。
 村木には大塚徹がいた。大塚は3ヶ月前まで金融庁の事務官であった。今はMファイナンスの企画部長だ。
 越智は20億の資金集めに難航していた。7千万円弱をがやっとだった。村木が9億円をMファイナンスで出すという。越智も10億円を捻出した。越智は自分が社長になるつもりであった。
 尾花康雄は朝日中央銀行の専務で、芙蓉と日本産業の三行統合以前にリタイアしていた。村木を訪ねた尾花は越智を社長に推していると明言するも村木から竹井大臣から尾花に是非受けてほしいと話す。越智はそのころ東京地検特捜部から強制捜査を受けていた。キャッスルの粉飾決済に関してだった。村木は尾花新社長は大臣と金融庁の総意だとも言った。
 尾花は2005年1月で退任するが会長職にもとどまったのもわずか1ヶ月と短かった。体調不良を理由に退任した。
 新東都銀行も2005年4月から営業を開始した。しかし、税金を1400億円投入しながらニッチもサッチも行かない。2009年には社長交代4代目となった。大幅な人員削減を行いやっと黒字にすることができた。
 新日産興銀行も2009年大日商工ファンドからの買い取ったローン債権の残高が1千億円以上あると公表する。直後金融庁の行政処分が行われ、村木、大塚、宮本が銀行法違反で逮捕される。
 村木は保釈金を払って釈放され、大塚と宮本は懲役6ヶ月執行猶予3年であった。
1801 不登校児 再生の島
Date: 2012-5-25

おすすめ度 ★★★★

 奥野 修司 著  文芸春秋  発行:2012年4月

 沖縄の高久島留学センターは坂本清治が彼らの親代わりとなって引きこもりや不登校の子を受け入れる施設である。ここでは15人の中学生が暮している。島にはコンビにもスーパーもない。
 肥満児の子は中学2年生。座っているか寝ているかの子ですぐキレる子であった。皆からゴンと呼ばれていた。クニは華奢な身体でぐにゃぐにゃしてこの子もすぐキレる子であった。ゴンともよく衝突した。クニは野球部のレギュラーだったとか勉強しなくても90点取れたと自慢するが、ボールもまともに取れなく、努力しなくても勉強できたとは言えなかった。韓国生まれの母と二人暮らしであった。学校で母親の言葉をからかわれ、それが発端でいじめを受けていた。
 ソウマは大きな絵を描いてアピールし認められたいとの願望が強い子であった。反面「恨みノート」を作ってノートの上から彫刻刀を付きたてズタズタにしていた。そこに誰の名前が書かれているか分からなかったが、後日、そのノートは捨てるように促された。
 ユウスケは小学校2年生から学校へ行っていなかった。中学生になっても行っていない。父親が変わりにセンターに先にやってきた。母親のスカートをつかんで離さない。筋金入りの不登校児だった。センターに来ても学校へ行かず釣りに出かけていった。
 夏休みになって東京のゴンに会いにノノカとユウスケがやってきた。そのユウスケは二学期から来なかった。皆からビデオレターが届くがユウスケはセンターに戻らなかった。ノノカやゴン、クニで熊本のユウスケの家に冬休みに行くことにした。4人でトランプで遊んだ後、センターに戻るように勧める。1月8日、ユウスケはセンターに戻ってきた。
 島では誰も親切で笑顔で挨拶をしてくれる。何かあってもあっというまに島中に広がってしまう。みんなが知り合いのようなものだった。
 卒業の頃、ノノカもゴンもクニもユウスケもみんな変わってきた。センターを出てそれぞれが国許に帰って高校に通った。
 4年の取材で書き上げられた高久島留学センターの子どもたちと坂本の奮闘記である。
1800 白銀ジャック
Date: 2012-5-20

おすすめ度 ★★★★

 東野 圭吾 著  実業之日本社  発行:2011年11月

 倉田は広瀬観光に入社して20年、会社がスキー場経営に乗り出したのは入社して5年目だった。
 倉田は新月高原スキー場に勤務している。スキー場ではスキーだけでなくスノーボードも受け入れた。しかし、コース以外の場所ですべる輩がいる。事故が起こればスキー場の管理の問題になる。パトロール隊を配して警戒している。中にはスキーのうまい違反者もいる。パトロールをあざ笑うかのようだ。
 そこへ「3千万円を用意せよ」と脅迫電話が入る。用意できない場合はスキー場内で爆発が起こるという。
 12番目の鉄塔を掘って見るとタイマー付き爆発物が見つかる。
 このことを社長に知らせると開業したまま犯人のいうとおりにする、警察には知らせないこととなった。
 しかし、犯人は3千万を受け取った後、再び3千万を要求してきた。それも手にすると、さらに5千万の要求があった。
1799 バイバイ・フォギーディ
Date: 2012-5-17

おすすめ度 ★★★★

 熊谷 達也 著  講談社  発行:2012年4月

 北海道のH高校の生徒会長杉本岬は、幼馴染の田中亮輔も生徒会に引き込み張り切っていた。岬はガリ勉タイプでは一度読んだ本は完璧に覚えていた。それでもトップの学校ではなく、2番目のH高を受験したのは生徒会長で文化祭を牛耳りたかったからだ。
 岬は政治オタクでもあり東大の法学部を卒業し、まず弁護士になり、いずれは代議士になると言う野望を持っていた。
 岬は国民投票法が18歳以上のものが国民投票の投票権を有するという憲法改正案の発議が可決されたと騒いでいる。国民投票のメインは憲法第9条をどうするかが論議の中心だと言う。岬が何かをたくらんでいる。校舎から見える五稜郭タワー。国民投票にH高の生徒会を巻き込もうとしている。
 文化祭「柳雲祭」にミュージカル「バイバイ・フォギーディ」に友情や裏切りを取り入れウエストサイド物語風にやろうとしている。田中亮輔のバンド仲間も入れてやる。学校のホームページに文化祭の柳雲祭も取り上げた。岬は掲示板に「憲法9条が変わることを前提にしているみたいだけど、改正案が可決した場合、野党も与党も可決した場合どうなるのか肝心なことがイマイチ分からない。はっきりさせてほしいんだけどな。みんなどう思う」というようなことを書いた。それに全国の人が反応した。「すごい女子高生が出現した!」とネットの中でヒートアップしていた。「岬という高校生が一般市民を支配化に置こうとしている」「岬は自分の意見は述べていない。賛成か反対かも言っていない」と。「36時間後までに賛成か反対か自分の態度を明らかにしろ」という。
 岬はそれに対してライブカメラでネット中継し「可決された場合、自衛隊はどうなるか。よく分からない。時間がたつにつれてよく分からなくなってきた」と答える。
 そしてプレ投票が行われることになった。憲法9条改正案賛成13487票、反対88765票だった。反対が87%だった。
 そしてこの地方の高校生が起こしたプレ投票は全国ニュースで流れ、テレビに限らず新聞、雑誌の取材が殺到したのである。しかし、岬は貝になること。ホームページを見ることで取材は断った。
 この間に、岬の父が排他的経済水域で沈没した。船が見つかったのは国民投票が4日後に迫った日だった。
1798 人事の嵐
Date: 2012-5-13

おすすめ度 ★★★★

 高杉 良 著  新潮文庫  発行:2012年4月

  江口は阿部社長の見舞いに行って驚いた。異常にやせていた。阿部から次期社長の依頼を受けていたが、江口は大谷常務を差し置いて自分が社長になるつもりはなかった。江口は相談役に「次期社長は大谷常務で」と社長の遺志である旨を告げた。相談役は聞いていた内容と違うことを正すが、江口は辞表を忍ばせていた。大谷社長で江口自身は副社長として大谷を補佐するならやると告げる。臨時取締役会で承認され、大谷社長が誕生した。
 林は新聞を見て驚いた。社長が江森氏と報じていた。記事は三度も読んだ。半年前に社長から半年後は君にこの席に座ってもらうと告げられていた。秘書室でも今朝の新聞の対応に追われていた。当節、企業のトップ人事は新聞が決めてくれるのか。別の新聞は別の人物の次期社長を報じていた。そして、林は社長から「約束どおり六月からこの部屋に来てもらうよ」と言われた。マスコミの報じた種はここから出たようだ。「ストレートに君の名前を出したら会長は首を立てに振らなかっただろう」という。江森が高田副社長に会長批判をしたようだ。高田副社長を残すかと聞かれたが、自分のボールを捕球できるのはむしろ江森だというと「よし、その線で行こう」と林社長、江森副社長に決まる。
 辞令の数だけドラマがある。全8話

1797 時効廃止 署長刑事
Date: 2012-5-3

おすすめ度 ★★★★

 姉小路 祐 著  講談社文庫  発行:2012年3月

  大阪ビジネスパークにある建設中のビルの溶接をしていた板内照男が、溶接をしていなかった箇所の溶接を命じられて勤務時間外にやってきて直した。ところが命綱をつけないでいたために突風でバランスを崩し地面に落ちた。死ぬ間際に「昔あんなウソを言ったからばちが当たった」と言った。あんなウソとは何か。
 17年前にJR桃谷駅近くで老婆と若い女性が背中を深く刺されて殺されていた。犯人は26歳の馬木亮一が逮捕された。添い寝クラブで出入り禁止になった男で、2年前には女子高生のしりを触ったと現行犯逮捕されたこともある男だった。決め手は馬木の靴跡だったという事件である。このとき、犯人の目撃者として証言したのがビルから地面に落ちた板内照男だった。
 大阪城外堀で警備会社専務の死体が見つかる。
ベテラン刑事谷と古今堂は時効廃止で以前の殺人事件を、最近起こった事件から調べ始める。
1796 結婚
Date: 2012-4-30

おすすめ度 ★★★

 井上 荒野 著  角川書店  発行:2012年3月

  亜佐子は宝石商と名乗る鳥海を待っていた。何度電話しても出ない。千石るりからの電話で元気ではいるようだ。鳥海がるりはバーの経営者でレズビアンだといった。一緒にいても気にしなかった。おまけに45歳の鳥海より10歳は年上であろう。36歳の亜佐子は鳥海と結婚を考えていた。エッセイが全国コンクールで入賞した。「最高だよ」と鳥海から言ってもらいたかった。
 今日はるりからの情報で七戸鈴子を引っ掛けようとしていた。津軽の豪農の娘で母が病死、父が再婚した親子関係が思わしくない。
 鳥海には妻初音がいた。鳥海とるりは結婚詐欺を働いていた。3年前の猪苗代のホテルであった穂原鳩子が訪ねてきた。鳥海のために亭主を捨てた女だ。鳩子は鳥海とるりの関係を見抜いていた。使い分ける偽名のことも。たびたび住所を変えることも。るりは千石るりや月島るり子という名を使い分けていた。
 鳩子は鳥海と結婚するためにマンションを買った。残金があまりないことを知ると鳥海は鳩子と別れるつもりだったようだと冷静になって気がついた。るりがダンスをすることから上京しダンス教室を調べ、鳥海の居場所を見つけた。取り返さなくちゃと思った。
1795 走らなあかん、夜明けまで
Date: 2012-4-28

おすすめ度 ★★★★

 大沢 在昌 著  講談社文庫  発行:2012年3月

  ササヤ食品の坂田勇吉30歳は、始めて大阪へ行った。修学旅行のときも病気でいけなかったところだ。
 ところが、将棋会館で資料を見ていた隙に、アタッシュケースを盗まれた。ケースには新製品の見本が入っていた。明日の会議に必要だ。あせった勇吉は、探し始めた。アタッシュケースを持って逃げたと言う男の行った方向を目指して走る。そして途中でであった真弓23歳に「大阪は初めて」とわかって助けられながら藤井寺球場にいく。藤井寺球場のトイレでそのケースが見つかるが、またしても男が逃げる。西梅田駅を経由して通天閣の近くまで追いかける。男が入った倉持商事に乗り込もうとする勇吉。中では、気の短く荒っぽい男たちに囲まれなぐられるが、しろどもどろに説明をはじめるが聞いてもらえない。なんとしても取り返したい。自分のアタッシュケースとこの男たちが間違えたケースには5000万円が入っていたと言う。領収書もないことから「あんた、いったってや」と頼まれ、代わりに真弓を人質に取られる。ヤクザの男2人と共にセンバ会という事務所に出向く。ケースを持っていた男はいなかった。夜中に探し回る。やっとアタッシュケースを手にしたときには夜が明けていた。
 怖い思いをした。そこへ警官がやってきて「もう一晩大阪に泊まってもらうことになるかもしれない」といわれる。留置ではなかった。事件の全容を説明させられるようだ。「ササヤ食品だったね」と言われる。警官はすべて知っているような口ぶりだった。


1794 母の遺産 新聞小説
Date: 2012-4-25

おすすめ度 ★★★★

 水村 美苗 著  中央公論新社  発行:2012年3月

  家中ほこりだらけで、洗濯も溜まって生え際の白髪も目立つが染める時間もない。もう疲労で朦朧としているのに母は死なない。いつになったら死んでくれるの?
 母は庶子であった。母の母は私生児で、母の母の母は芸者だったというから私生児だったかもしれない。そんな中で、母はお嬢様のようにわがままに育てられた。
 美津記は、夫が自分より若い女性と同棲しているのを知っていた。姉の奈津紀にはまだ話していない。姉も金持ちのところに嫁いでいた。母の介護は美津紀が主にやっていた。
 父はだいぶ前になくなった。最後は2メートル四方の病院のベッドが終の棲家だった。母の場合はちがってゴールデンと呼ばれるホームに入っていた。入居時に2700万円を払ったが、実際には4ヵ月半入所しただけだった。その後誤嚥性肺炎で三ヵ月半病院に入院したがホームには合計8ヶ月居たことになった。戻ってくるのは1700万円であった。
 このホームに入るとき、千歳船橋の68坪の家を売った。まだお金は残っている。ホームからの戻りを足すと一人3500万円になるだろう。
 美津紀は姉がドイツに留学したので、自分はフランスに留学した。そこで夫の哲夫と知り合った。哲夫はプルシエになるために大学院に入った後は死にもの狂いで勉強し、修士課程終了後、パリに渡っていた。帰国してから二人は結婚した。姉も資産家の元に嫁いた。
 美津紀は母の死後、箱根に行く。8日間の長逗留をした。母とのこと、夫との事を思い巡らせていた。旅から戻るとマンションを探し始める。夫からの離婚の条件で今すんでいるマンションを売り、半分にするつもりだ。姉には一人で住むことを告げた。そして姉から2000万円を渡すという。自分には母からの遺産は必要のないお金だからという。
 気に入ったマンションが井の頭線の先に見つかった62.5平米である。大きな公園の脇にあって眺めもいい。3月になって引っ越した。あの大きな地震の前の日だった。
1793 デッドエンド ボディガード工藤兵悟
Date: 2012-4-22

おすすめ度 ★★★★

 今野 敏 著  角川春樹事務所  発行:2012年3月

工藤兵悟はフランスの外人連隊にいたことがある。厳しい軍隊訓練であったが、格闘術で水を得た魚のように嬉々として技を習得していった。アフリカ、バルカン、中東、インドシナと実戦もしてきた。今ではもう46歳だ。警備会社から時々仕事を回してもらい、ボディガードをしていた。
 今回は1日百万と言う日当でホテルのスイートルームに泊まるロシア人のカジンスキーをガードする仕事が舞い込む。ところが、ガジンスキーから外人部隊にいたマキシムが死んだことを知らされる。腕の立つ奴だった。ロシアマフィアから守らなければならないガジンスキーの警護をするには命を落としかねない。日当が150万に釣り上げられ、日本に滞在する期間だけという約束になった。滞在期間は3日から7日だという。
 早速、警護に当たる。いちいち部屋のあちこちをチェックする工藤をカジンスキーはさすがだと言った。
 外出の際に、違和感を覚える男を撃った工藤。翌日の新聞にも載らなかったから、男は防弾チョッキを着ていたのだろう。3日目に3日分の日当が振り込まれたが、あの撃った男が襲撃を掛けてくるヴィクトルだと分かる。
 ヴィクトルは工藤にマキシムをやったのはカジンスキーだと教えられる。信じられなかったが、任務の終わりに口封じで殺されると言うことを覚悟しておかなければならない。
 そして、7日目、明日は帰国すると言うので、銃の手入れをして寝た工藤の部屋にカジンスキーが忍び込んでくる。銃を引かれるが撃たれる前に身をかわした。カジンスキーは驚いたようだった。もう任務の必要はない。引き上げた明け方、ヴィクトルが工藤の部屋で目覚めるのを待っていた。カジンスキーは心臓発作で死ぬだろうと言う。
 ヴィクトルの依頼でロシアに行く。人質にされている女性を取り戻すために。仕事は3日で終わった。
 日本に戻った工藤のところにロシアのシモノフから連絡があった。もう一度一緒にやらないかと。工藤は断った。
1792 炎上 警察庁情報分析支援第二室<裏店>
Date: 2012-4-20

おすすめ度 ★★★★

 遠藤 武文 著  光文社  発行:2012年3月

  コンサートで隣に座った男に注意された刑事の我孫子。その男は古畑だった。8年前のことである。
 その古畑が自宅に泥棒が入った。泥棒は隣に住む宗像だという。宗像は片付けないごみ屋敷に住んでいて人から借りたものは借りっぱなしで返さない。ゴキブリがペットボトルや鞄からも出てくると自慢げに話した。そういう男を捕まえてくれと我孫子に連絡をしてきた。
 そこへ、古畑のうちが家事だという知らせで急遽、我孫子と駆けつける。宗像は死んでいた。宗像の息子がやってきた。30年前に妻子をおいて出て行ったという。以来何の連絡もなかった。保険に入っていない古畑は宗像の息子に弁償を迫る。
 しかし、我孫子が調べたところ、宗像の通帳からヤミ金融への返済が行われていた。宗像は知人の保証人になり、督促から身を守るために妻子を捨てたのだった。焼け跡の死体の近くから賞状入れがみつかる。中には宗像の息子が書いた作文が入っていた。妻子を捨てたのではなかった。燃える家の中でそれを持ち出そうとしていたのだ。
 そして、大きな梁のそこの部分が焼けていないことから、宗像への疑いが。ただの失火ではない。宗像は足を折られていた。なぜ? 我孫子が疑いを古畑にむける。
1791 傷痕
Date: 2012-4-18

おすすめ度 ★★★★

 桜庭 一樹 著  講談社  発行:2012年1月

  二十世紀に産み落とした偉大なスター、キング・オブ・ポップスが亡くなった。彼は銀座の元名門小学校の跡地を買い自宅にした。敷地内に観覧車があり、楽園用にアレンジされた回転木馬もあった。守秘義務を条件に高い報酬で雇われたセキュリティスタッフたちが20人ぐらいいた。高層ビルや大きなデパートに囲まれた場所であるが、キング・オブ・ポップスの娘傷痕(キズアト)と名づけられた11歳の一人娘はマスコミの前で素顔をさらすこともなかった。
 キング・オブ・ポップスは51歳だった。11歳の娘はバリ島で買ったという魔よけの木彫りの仮面を被せられていた。殺されたという説もある。しかし、彼は死んだ。キングのファミリーたちがやってきた。彼の母親、兄、父親、次兄や妻たちだ。すぐ上の姉の孔雀も。
 キングは3度も訴えられた。子供たちの親から。2度目までは和解し高いお金が支払われたが、3度目はキングが無罪になった。
 傷痕は思った「パパはいい人だった」。傷痕の髪の毛を持ち去ろうとした男はセキュリティスタッフによって取り押さえられた。たぶん、傷痕のDNAを調べようとしたのだろう。キングは結婚していなかった。傷痕の母親が誰か知りたかったのだろう。
 キングが小学校の跡地を買う前は赤坂のプリンスホテルの最上階で暮らしていた。キングはチャイルドスターからポップアイドルになり、大人になるとキングとして君臨した。そして小学校跡地を楽園に作りかえ、楽園に招待された子供たちと過ごした。そして、11歳の少女とのスキャンダルが金目当ての犠牲者だと言われた。
 傷痕は彼の死後、静かな生活を望み楽園から出て行った。彼女は仮面をはずし、もう誰も見分けることができない。
 キングを送る大掛かりなセレモニーが武道館で行われる。
1790 所轄魂
Date: 2012-4-15

おすすめ度 ★★★★

 笹本 稜平 著  徳間書店  発行:2012年1月

 江東区内の公園で若い女性の遺体が発見された。裸足であった。ボート乗り場近くの木立の下である。付近に履物も持ち物も見つからなかった。
 捜査本部には殺人犯捜査係十三係の山岡と共に担当管理官として俊史もやってきた。十三係の評判は強引な捜査をする事であまりよくなかった。葛木邦彦は当惑した。息子の俊史と一緒に働くことになった。
 東京湾マリーナでまたしても若い女性の死体が出た。靴は履いていなかった。同じ犯人の仕業だと思われる。第三の犯行に及ばないよう食い止めなければならない。
 運搬手段としてボートを使った可能性がある。花柄のワンピースを着た女性を乗せたボートを見たという証言を得た。
 そして第三の死体が出た。第一の死体は9日前、第二は4日前、第三は3日前に絞殺され、カヤックに乗せられた遺体が暗渠の奥で見つかった。
 第二の女性の身元が分かった。24歳の赤羽台の会社の勤務する女性だった。
 靴を盗んだ前科があること、勤め先でカヌーやカヤックの売り場を担当していたこと、1ヶ月前にそのスポーツ洋品店を辞めていること、現在行方不明の幸田が怪しいと睨んだ。
しかし、物性はない。幸田は捕まった。幸田の家宅捜査と強引な取調べで山岡はいきまいていた。捜査協力の近隣の住民からも山岡の捜査の強引さはクレームが入っていた。俊史は山岡に対峙し意見する。山岡も負けていないが、俊史の言うことももっともだ。
 葛木邦彦は俊史の言動に驚かされる。心配することはない。いつの間にか立派になっていた。俊史はキャリアとして公用車を使うわけでもなく、捜査本部になっている場所で寝泊りしていた。やがて、幸田の無実が判明する。

1789 朝の霧
Date: 2012-4-11

おすすめ度 ★★★

 山本 一力 著  文芸春秋  発行:2012年2月

 1579年、高島注連次(しめじ)は、6年前の築城の折に主君波川玄番にもらった樫の文机があった。
 波川玄番は葛木城の築城を命ぜられて、これまでの平城から兵糧攻めや水攻めに会わない山城を築いた。四方を直立に切り立った場所に建てた城である。戦いの折、ため池に水が流れてこなくなった。池に9メートルの蓋を3枚作り中の水の状態を敵に分からぬようにした。もはや兵士に湯のみ1杯の水も残っていなかったのであるが、敵にまだ潤沢にあるように見せかけ、わざと急所をはずし敵を逃がした。守り頑丈な城と言わしめた。戦いは和睦に持ち込んだ。
 葛木城の先を流れる仁淀川の桜が古木となって並木をなしていた。
1788 相田家のグッドバイ
Date: 2012-4-9

おすすめ度 ★★★★

 森 博嗣 著  幻冬舎  発行:2012年2月

  相田紀彦の母紗江子は、燃えるゴミ以外のゴミを出したことがない。箱でもゴムでもなんでも取っておく人だった。大きな箱の中に小さい箱が、またその箱の中に箱があるというように工夫してとり置いた物をきちんとしまっておいた。だが、それらはほとんど使われることなく、後に家を壊すときはゴミとなって処分された。それらのものの中から現金がぽろぽろと見つかったものだった。
 物を捨てないから倹約家でもあったが、けちではなかった。必要なものは買ってもらった。小学校のとき、賃貸マンションに越した。収集された捨てられないもので部屋は物であふれ手狭になっていた。紗江子が50代になり、度々入院するようになった。それは紀彦の実家の近くに越してからだった。そして紗江子は72歳で癌で亡くなると父の秋雄一人の住まいになった。父は結婚式の日も間違えるなど結婚式に出席することがプレッシャーになっていた。
 母の紗江子は生前へそくりをしていた。それは8千万円ぐらいになっていた。押入れの布団の間から札束が出てきたり、ブリキ缶から印鑑が出てきたりと宝探しをするような気分だった。相続人数あたり1千万円を越えたあたりから控除の対象になり、相続する3人では一人頭3千万円で、5千万円が基本であるから8千万円まで無税と言うことになる。超えた分の半額が税金として徴収される。税金は払わなくてすんだ。
1787 地層捜査
Date: 2012-4-1

おすすめ度 ★★★★

 佐々木 譲 著  文芸春秋  発行:2012年2月

  新宿の有力者渡辺邦夫から、15年と1ヶ月前に起きた殺人事件について解決してくれないかと依頼される。法的にはまだ可能であった。殺人事件は時効が廃止になった。
 新宿区荒木町でアパートのオーナー杉原光子が殺された事件だ。平成7年10月に杉原(当時70歳)が腹を一突き心臓にまで達していて死んだ。金は取られていない。暴力団の手口だ。被害者への殺意が明白だった。
 水戸部が捜査に当たることになった。もうひとり、退職した加納元警部補にもお願いした。加納は事件当時四谷署にいた。
 杉原光子は、元は荒木町の芸妓だった。結婚暦はないが、建築業社長の世話を受けていた。芸妓時代は鈴佳という芸妓と姉妹のように一緒に住んでいた。鈴佳は46年前に失踪していた。
 水戸部と加納は早速、荒木町をあたる。15年も前の事件に驚くが、情報が少しずつ入る。
 杉原は住んでいた家を売る話がまとまっていた。地上げ屋の仕業とは思えなかった。
府中刑務所に服役中の津村から13年前に頼まれてスーツケースを産廃施設に埋めたと言う話を聞く。その際にスーツに着いた血から徐々に分かり始める。
 杉原と国枝征二郎の関係は置屋をやめる19年前まで続いていた。国枝は杉原が殺される4ヶ月前に肺がんで死んだ。東京女子医大に入院していたと言う。
 調べていくうちに46年前に鈴佳は誤って頭を打ち死亡した。そばにいた国枝はすぐ、戸田の現場に埋めた。杉原光子も知っていた。1年たって国枝がそこに祠を建てた。その後、国枝は杉原の面倒を見ることになった。
 国枝と同じ頃に入院していた男は、偶然国枝から鈴佳の話を聞いた。自分の恋人だった。国枝は昔の話だと思って話したのだろう。男はすぐそばの荒木町で杉原光子を殺した。恋人を埋める指示した女が何の責めも受けず、土地が売れ金が入ると有頂天になっている。理不尽だと考えて無理はない。男は胃がんで胃の三分の二を切除しても今もホスピスで自然死を待っている。
1786 覇王の死
Date: 2012-3-31

おすすめ度 ★★★★

 二階堂 黎人 著  講談社  発行:2012年2月

 青木俊治は、上野公園で「貴方の不要な命を高価買取します」という広告に誘われてその場所に行ってみる。11歳で両親が死に遠縁に預けられて中学を卒業した。卒業後は上京したが、職を点々として23歳になった。アパート代も払えず、公園での野宿の暮らしである。毎日空腹であった。記載された弁護士事務所で毒島弁護士から仮合格をもらう。
聞くと「ある村に行き、自分がその村の金持ちの跡取り息子として乗り込むこと」だった。跡取り息子は、偽名でアルバイト中に亡くなったが、家族はそれを知らない。血液型、顔つきが似ていることから送り込まれることになった。
 石川県の能登半島にある眞塊谷と呼ばれる村にいく。ヤマタノオロチのような大蛇の神がいて悪さをする人にたたりをなすとうわさされる村だった。
 その村の城と呼ばれる広大な屋敷の邑知家に行く。邑知家の血を受け継ぐ尾崎智仁となって乗り込む。空港まではリムジンで屋敷から迎えが来ていた。
 屋敷は村全体を見渡せる山の中腹にあった。
 村の入口あたりにニューホーリー村があった。キリスト教プロテスタント宣教師などが住む村で戦後に誘致した。そこで怪奇な事件が起こっていた。
 当主の邑知大輔は重い病気で寝込んでいた。ひ孫の双子の娘みねりとりねあがいた。二人は16歳であった。智仁はこの娘のどちらかと夫婦になる予定であった。もう一人の後継者とされる今野洋一も乗り込んでくる。村に来て、なかなかみねりやとりねにあわせてもらえなかった。みねりの姉だと言う緑山杏香と親しくなる。
 10日ほど過ぎてからようやく双子の娘に会えたが一人は異様に肌が白く蛇がとりついているといわれていた。双子は忌み嫌うことから本当の姉妹ではない杏香が姉として村人を騙していた。
 毒島弁護士から徳川の埋蔵金が隠れているはずだ、それを調べるようにと言われていた。
 智仁は杏香は村を散策する。ニューホーリー村にも足を踏み入れる。
 邑知家に脅迫状が届いていた。りねあが銃殺される。
 村人に追われる。杏香は毒の入った飲み物を飲んで死んでしまう。智仁も崖から落ちて瀕死の状態で助けられるが、この間に邑知家は火災にあって全焼した。
 智仁が助けられたときは記憶がなかった。思い出し始めたとき、二階堂蘭子がこの事件の解決にあたる。
1785 カシスの舞い
Date: 2012-3-29

おすすめ度 ★★★★

 帚木 蓬生 著  新潮文庫  発行:2012年1月(1983年10月初出)

  「時は、レーガン大統領の暗殺未遂事件から、二ヶ月もたたずにローマ法王が狙撃された年、日本人の精神科医水野は、マルセイユ大学病院の神経精神科に内勤医として勤務している。彼の所属している教室の主宰者ボロー教授はフランスにおける精神障害治療の権威であり、とくに麻薬中毒の研究、薬物療法や電撃療法の研究で目ざましい成果をあげている。病院における水野の生活は、同僚の研究員シモーヌという恋人にも恵まれて平穏に明け暮れるのだが、いつしかその周辺は不協和音が響き始める。きっかけは、解剖室で見つかった首なしの死体だった。シートをかぶった80体ほどの遺体が整然と置かれていた。」本文から引用
 マルセイユ警察はティモール病院内で発見されたばらばら遺体でボロー教授とルー助教授を逮捕した。膨大な資料とともに人体実験に供されたと思われる7人の遺体を確認した。
 ボロー教授の教室は全国一の麻薬中毒治療センターでもあった。脳研究にあたって、覚醒剤や麻薬中毒が分裂病のモデルになりうると仮説を立て、人体実験を行っていた。病者の脳はいくらあっても足りなかった。
1784 江田島殺人事件
Date: 2012-3-28

おすすめ度 ★★★★

 内田 康夫 著  角川書店  発行:2011年12月(1988年10月初出)

  東郷元帥の佩剣が盗まれたという江田島の教育参考館に行った浅見。教育参考館は江田島の海軍兵学校の歴史のあるところだ。ギリシャ神殿か博物館を思わせる正面だった。見学を終えた浅見は10年前に江田島は大きな火災があり、山林の千ヘクタールが3日間で燃えたが負傷者は1名で消防士であった。火災の後身元不明の遺体が発見された。遺体は短剣を深々と腹部に刺し背中を上にして横たわっていたという。遺体の身元は近江聖治と言う男だったが自殺として片付けられた。火事の原因は野焼きの火が原因だった。
 佩剣の盗難の件は浅見の兄陽一郎からの紹介できた野口からの依頼であった。
 江田島警察署を訪ねた浅見は久野部長刑事に会っていた。そのとき、品覚寺の裏山で死体が発見されたという報が入る。
 死体は短剣を胸に刺しうつぶせの状態であった。まもなく男の名前が今井雅晴62歳とわかった。レンタカーから東京の住所も分かった。10年前の近江という男とよく似た死に方であることに浅見は不審を抱いた。
 さっそく、久野部長刑事にその不審をぶつける。同時に兄陽一郎に10年前の自殺事件について調べる必要があると報告する。
 浅見は10年前に今井雅晴が江田島に来ていないか、江田島の自衛隊の訪問者名簿を調べる。そこへ今井の件は突っつきまわすなと横槍が入る。
 大野耕司防衛庁長官が海軍兵学校74期の出身者で7人の仲間のうち3人が戦死し軍神になったが、大野はそのことに負い目を感じていることは間違いない。そして大野を除く残り3人のうち2人が死んだ。紛失した東郷の佩剣と短剣を刺してうつぶせに死んだ2つの遺体。今井が10年前に仲間の二人と三人で江田島を訪ねたことがわかった。そして、短剣はすでに10年前に盗まれていたことも。盗んだのは大野か?

1783 築地ファントムホテル
Date: 2012-3-27

おすすめ度 ★★★★

 翔田 寛 著  講談社  発行:2012年2月

 明治5年、モリスは日本政府から工学教師として招聘された。イギリスから上海を経由してやっと東京に着いた。築地のホテルに泊まった。ところが、このホテルで火災が発生した。46号室の方から「ヘルプ・ミー」とうめき声が聞こえる。男の手元にブレスレッドが落ちていた。炎の向こうに鎧兜を身につけた男が刀を振り上げていた。モリスは何もとらずに逃げた。
 イギリス人のベアトは火災現場に行った。築地と銀座を含め41町が消失し、150人の死者が出た。写真を撮りイギリスにも送りたい。規制を振り切っての取材は現地警察ともめたが、米倉警視の計らいで火災のとき何が起こったか調査した内容を警察に報告する事で許可が出た。築地ホテルではジェームズが遺体となって発見された。しかし、火災のせいではなく殺害されたようだ。貿易会社の社員で35歳である。
 モリスの話から刀を持った日本人が犯人とされた。そして加東八三郎が「春の花が散る前にその敵を倒して自分は潔く死んでいく」という遺書を残し切腹した。日本政府もジェームズ殺しは八三郎が犯人と断定した。ところがこの事件がイギリスで思わぬ怒りを買った。「人殺しを平然と犯す日本人」「未開の野蛮人」などであった。モリスは自分の記事で日本人を不当に評価が下げされてしまったことを驚く。
 イギリスから遺族の依頼を受けたと称してベアトはもう一度築地ホテル火災でのジェームズ殺害を調べ始める。そして自分が米倉警視にいいように使われたことを知る。米倉の行っていた不正行為に加担したジェームズ変死を効果的に利用したのだ。
 弟東次郎が米倉の手先となってジェームズに仏像を渡したことを知った姉の小絵。小絵がジェームズを訪ねていたのだ。東次郎が刺殺犯と思われたが違っていた。
1782 花嫁
Date: 2012-3-25

おすすめ度 ★★★★

 青山 七恵 著  幻冬舎  発行:2012年2月

 麻紀には5歳年上の兄がいる。兄は突然結婚すると言う。相手は3ヶ月前に再会したいとこの富子だ。なんでも、友達と韓国旅行へ行ったときにプロポーズしたらしい。
 麻紀は兄が好きだった。結婚したら家を出て新婚生活をするという。麻紀もその二人と一緒に三人で暮そうと言う。
 麻紀の母さおりは、結婚式前日に花嫁に向けて手紙を書いていた。長い長い手紙だった。
それには花嫁を待っていたこと。さおりの夫宏治郎と店のお手伝いをしている弓子との関係、弓子とさおりとの秘密、弓子と妹麻紀との関係など秘密が書かれていた。
 妹の麻紀は弓子と宏治郎の間に出来た子どもだった。もともとは弓子と宏治郎は恋人同士だった。が、ひょんな事で知り合ったさおりとも交際しているうちにさおりの方が妊娠し、二人は一緒に暮すようになった。
 そして和菓子の店を持った。少し疎遠になっていた弓子が宏治郎を訪ねてきた。無職の弓子は宏治郎の店を手伝うようになった。そして弓子が妊娠した。
 弓子とさおりは秘密を話し合う仲がよかった。妊娠も正直に告げ詫びた。そして、生まれた子はさおりの子として育てることに二人で決める。それを宏治郎に告げた。
 弓子は店には出るものの自宅へはあまりこなかった。さおりは麻紀もかわいがった。
 さおりは長男和俊の結婚を機に宏治郎を弓子に返そうと考えていた。なんといっても麻紀の母だ。そして富子宛に手紙を書いた。
 宏治郎と弓子はもう30年も前に知り合いだったこと。21年前に麻紀ができた。自分は深く宏治郎を知らないまま妊娠したために結婚してしまった。宏治郎と弓子は麻紀が出来たことはたった一度の過ちと言うが分からない。
 宏治郎もまた自分の結婚生活が終わりに近づいていることを悟っていた。
1781
Date: 2012-3-22

おすすめ度 ★★★★★

 堂場 瞬一 著  角川書店  発行:2012年1月

  日向毅郎は実家に帰った。かつては自分の部屋だった押入れから隠していた200万円を持ち乗ってきたBMWですぐに戻るつもりであった。ところが雪が降り始め、母から泊まっていくように言われる。久しぶりに公務員の父を囲んでの夕食だった。4月から喫茶店をやると言う日向の言葉に両親は心配した。
 翌日、駅に行くと高校の同級生井沢真菜に出会った。22歳のはずだ。彼女はひどく疲れていそうで、駅で夜を越したように見えた。長浦に帰るというと真菜も偶然同じ市だった。車に乗せてやることにした。
 車の中で真菜は男を殺したこと、娘も死んでしまったことを話す。日向は、その話を確かめるために真菜のマンションに行く。男は別途の上で包丁でめった刺しにされて死んでいた。幼い娘はベランダで木箱に入れられ死んでいた。真菜は出産した後、シングルマザーでコンビニとファミレスのバイトの掛け持ちで暮していた。そこへファミレスの客の男と親しくなり泊まるようになった。当然娘が邪魔になり、男が来る日はベランダにダンボールに入れていたが、騒ぐために木箱に入れることにした。ある日、娘はベランダで冷たくなっていた。「どこかへ捨てて来い」という男の言葉に真菜は男を包丁で刺した。何度も何度も。そして家を出て故郷の駅にたどり着いた。翌日、日向に出会った。
 日向は、振込み詐欺をやっていた。最近、出し子に使っていた氏原が刑事から「日向を知っているか」と聞かれたと言う。氏原にはもうこの仕事をたたむと告げに行き退職金と称して30万渡した直後、殴り殺してしまう。
 一刻も早く、この仕事を片付けて逃げなければ危ない。BMWで逃走資金の200万を取りに実家に戻った。翌日、真菜に出会った。
 二人は長浦に戻った後、再び新潟に向けて車を走らす。その間に、真菜は日向に金を貸してくれと頼む。日向はなかなか承諾しなかった。金があるのは分かっていた。途中から日向は1千万円を回収していた。雪のため渋滞し、車は後ろにも前にも進まない。いつ動くかも分からない。二人は車を降りて歩き始める。スーツケースが邪魔になるが、金が入っている。日向は金を半分真菜に渡しそれぞれが身につけると歩き始める。と、日向は頭に衝撃を受け意識を失う。刑事は日向を追っていた。
 真菜は通りかかった夫婦に車で新潟まで送ってもらう。追ってはすぐそこまで来ている。
真菜は用意された船に飛び乗る。そして、荒れる日本海。ダウンが水を含んで重い。ブーツにも水が入る。お金が浮かんでいく。お金を稼ぐのにどれだけ苦労したか。手を伸ばすが沈んでいく身体。
 日向は刑事によって助けられ取り調べられる。入れておいたはずの500万円は消えていた。真菜が持っていったことを確信した。
1780 大いなる時を求めて
Date: 2012-3-12

おすすめ度 ★★★★★

 梁 石日 著  幻冬舎  発行:2012年2月

 1910年日韓併合がはじまった。1920年代末から労働運動やゼネストが韓国各地で広がった。1938年に尋常小学3年生となった宗烈は、朝鮮語が選択科目になった。朝鮮人は突然、唖者のようになった。宗烈は日本語がうまくしゃべれるが、母は「はい」としか言えない。外で朝鮮語を話すと巡査に日本語を使わないことを咎められた。おまけに姓名まで変更を強いられた。宗烈は金から金田に変えた。父はそんな政策を逃れるように叔母を頼って一家は済州島に移った。
 50坪の敷地に2棟の家が建っていたところを買い両親は料理屋を開いた。宗烈は11歳の小学5年生に編入した。軍事訓練が強化されていた時代である。師範学校へ行けば兵役から逃れられると両親は宗烈に師範学校へ進ませた。しかし、すぐに宗烈は予科練に志願した。8月15日、敗戦の報に日本人として教育を受けた宗烈は「今に神風が吹く」と皇居の方角に正座しわけが分からなかった。町は解放感と幸福感で満ち溢れていた。
 両親は沈んだ宗烈を心配した。そして、宗烈は集会などに頻繁に出席するようになった。
東京で勉強し左翼思想を抱いていた朴先生に影響されていた。
 両親は日本円で千円を作り宗烈に「たとえわしらが死んでも二度ともどってくるな」と警察に追われる宗烈を逃した。宗烈はやがて大阪の生野にたどり着く。同胞がたくさん暮らす町だった。
 「チンダレ」という機関雑誌を作りながら仲間と集っていた。警察に捕まったこともあったが知り合いに助けられた。ふたたび島に戻った宗烈だったが、1948年には済州島では7万とも8万とも言われる島民が虐殺された。反李承晩闘争に参加した者たちだった。
1948年8月大韓民国が、9月には朝鮮民主主義人民共和国が樹立された。
 再び日本に戻った宗烈はニワトリ長屋に出入りし、在日朝鮮人の8歳から35歳までの人たちに朝鮮語を教えた。この地域の朝鮮人は朝鮮語の読み書きが出来なかった。
 宗烈は怯えていた。済州島から逃亡したことがばれるのではないかと。「チンダレ」という雑誌作りも行った。「資本主義はあと10年で滅亡する」と思っていた。
 町では日ごとに帰国への期待が膨らんでいた。帰国と言っても大抵は北の方だった。
組織を辞めた宗裂は新たに「カリオン」という同人誌を発行する。
1779 羅針
Date: 2012-3-8

おすすめ度 ★★★★★

 楡 周平 著  文芸春秋  発行:2012年1月

 関本源蔵は3千トンの大型高速冷凍船の三等機関士である。富国水産の中積船として仙台と相生に向かっていた。6歳の秀俊、2歳の隆俊と妻涼子がいる。結婚して8年目だ。
 源蔵は小学5年で父を戦争で失い、母が子ども5人を見ながら生活してきた。母は当時は珍しい高学歴で横浜のフェリス女学院を出ていた。母の実家が裕福だったこともあり、源蔵は商船学校へ進んだ。それでも一刻も早く母を助けようと給与の高かった機関士を目指した。やがて一等機関士にもなったが、それ以上なかなか昇進できなかった。
 そんなおり、今度の航海のあと、機関長になることを約束された。妻子の待つ家に急いだ。妻子は妻の実家の仙台からバスでいったところの山間部で旅館をしていた。最近は子どもともゆっくり話が出来ない。昇進の知らせは伝えてあった。遅くに帰ってきた長男はイタリア製のネクタイをお祝いに買ってきてプレゼントしてくれた。が、将来のことをあまり話さない態度もあって帰宅の遅いことをなじってしまった。秀俊はパイロットになりたいと思っているようだ。
 そこへ近所の父子が尋ねてきた。枝川敏雄は大学を中退後、4年たっている。この間に3度仕事を変えていた。父に言われ源蔵の船で働かせてもらえないかと頼みに来た。
 源蔵が職場に戻ると、急遽捕鯨船に乗ることを命じられる。予定していた者が急病だと言う。源蔵は雇った枝川と一緒に船に乗る。
 時折、船の上で枝川と顔を合わす。最初は愚痴が出ていたが、徐々に慣れてきたようだ。
何よりも枝川が鯨の潮吹き(ケという)を見つけることに長けていた。ところが、捕鯨船は時化に会い船が動かなくなった。救援を頼む。22人の乗組員の命がかかっている。船を放棄し、それぞれがロープに体をくくり、氷の上を進んでいく。途中で弱音を吐くものを叱咤しながら進んでいく。枝川が海を見つける。炸裂音と共に船が近づいてきた。助かった。
 枝川は「毎日畑に出て百姓をする両親を馬鹿にしていた。能のないやつがやるんだと。船に乗って華やかに見える仕事も、地味で繰り返さないと成果が得られないことが分かった。生きてもう一度人生をやり直したい」と言った。
 船は雪解けを待ってオーストラリアのドックに入る。直ったらまた捕鯨に出る。来期も捕鯨に出たいと皆が言う。その中には枝川の姿もあった。
1778 再会の街
Date: 2012-3-6

おすすめ度 ★★★★

 藤田 宜永 著  角川春樹事務所  発行:2012年2月

  私立探偵竹花は麻布十番で事務所を開いている。マンションの12畳を事務所に奥の6畳に寝泊りしている。
 中里睦夫74歳から元愛人だった奥宮綾子の娘真澄の居所を調べて欲しいと頼まれた。中里に会う前に、小さい子を連れた女性が男の子を連れ去られようとしているところを竹花が助けた。連れ去ろうとしたのは目出し帽をかぶった男だ。
 奥宮綾子の居所は分かったが、中里から頼まれた日に亡くなっていた。ようやくの伝で娘真澄の居所も分かる。真澄は連れ去られそうになっていた男の子健太2歳半の母親だった。真澄は保育園に子どもを預け、カジノのディーラーとして働いていたが今は辞めていた。
 竹花が男の子の父親を聞くとすでに離婚していると言う。名前はジョージ・イチロー・マツイという。ベーブ・ルースに似ていることからベーブと呼ばれていた。
 ベーブは日本に来ていた。ボルチモアで中古車ディーラーをやっているという。竹花はベーブにも会う。男の子を連れ戻そうと、目出し帽の男に頼んだと言う。直接、真澄や健太に会おうとはしていない。
 竹花はベーブからの依頼を受けた紀藤幸一郎と親しくなる。真澄は中里に会う。孫を見てよろこぶ中里睦夫。「おじさんがいる」と健太がうっかり口に出す。真澄はその相手名を言わない。竹花は調べる。そこへベーブが殺されたと電話が入る。
 2千万円の使い込みで会社をクビになった新浦と知り合う。カジノで竹花が貸した金で少し儲けた。
その新浦が血を吐いて死んだ。新浦は真澄と暮していた。健太がおじちゃんと親しんでいたのは新浦だった。
1777 愛娘にさよならを 刑事 雪平夏見
Date: 2012-3-3

おすすめ度 ★★★★

 秦 建日子 著  河出書房新社  発行:2011年9月

  少女は手紙を書いた。母はまだ帰ってこない。手紙の相手は、野球のユニフォームを来た中年の鈴木さん、いつも杖を突いている短気な清水さん、ロックンローラーの袴田さん等だった。
 雪平は刑事部監察官室の警部補だ。元夫の死後、幼い娘と暮している。今回は銃弾を受け左腕に麻痺が残り感覚がない。
 上司の島津からひな祭りパーティーを開くというので、職場の女子たちが休日、島津の自宅マンションにおじました。帰りに入れ違いに野球のユニフォームの男とすれ違う。雪平は違和感を感じ、皆と別れて島津のマンションに引き返すと、惨殺された島津夫妻の姿があった。まだいた犯人と雪平は格闘するも逃げられる。
 現場に戻った雪平は、島津のマンションと公園の公衆トイレを捜査。いたずら書きからあるマンションに行く。予感どおりそこには血の着いたユニフォームがあった。「ひとごろしがんばりました」と書かれたメッセージが残されていた。
 大学病院の小児科医佐久間が自宅マンションで殺されていた。殺したのは杖を突いている清水だった。清水は「たのしみにしています。ひとごろしがんばってください」の手紙をもらっていた。
 小学校の教員緒方は水槽の中に頭部だけ浮かんで殺されていた。「ひとごろし がんばりました」とのメッセージメモがあった。
 鷺沼陽一郎は役者だ。6年前に奥多摩の渓流で娘を亡くした。娘は離婚後妻に引き取られ、新しい再婚相手の門田がいたはずだ。事件の詳細を知るうちに、現場には7人の大人がいたと言う。男の手元には「ひとごろしがんばってください」の手紙があった。
 門田が今度狙われることを知った雪平は「オオクラ昼ず」のロケのスケジュールを聞いて東京ドリームランドにいく。
 雪平はミッティーの着ぐるみに潜む男に向けて発砲する。男は心臓を狙われ銃弾が打ち込まれる。2時46分18秒。地鳴りと共に地震が起こった。マンホールの蓋が吹っ飛び地中から泥水があふれた。数千人の群集が逃げ惑う。
 雪平も娘の下へ向かおうと去っていく。刑事の安藤は「また雪平に撃たせてしまった」とつぶやく。
1776 希望 渡邉美樹の日本復興プラン
Date: 2012-3-1

おすすめ度 ★★★

 渡邉 美樹 著  KKベストセラーズ  発行:2012年2月

 復興プランは残念ながらほんの少ししかふれられていない。復興策の具体的なものは何もない。

 4月宮城県の山元町を尋ねた渡邉は被災の現状を目の当たりにします。そこには光景の状況とは違って人々は「○○だから幸せです」と命のあったこと、葬儀を済ませることが出来たこと、家族が生きていることに感謝して暮していました。
 陸前高田市の参与を引き受け、農地転用の許可など現行法が足かせとなっている中、復興に向けて奮闘します。しかし、いつまでにという日付を入れることが出来ない。
 街全体をブランド化するために経営勉強会を始める。67人が集まり事業を起こし町おこしにつなげたいと考えている。利潤を上げる→多額の納税が可能→その地域が潤う。
 2003年から郁文館夢学園を経営する。中学から高校の学校である。人に役立つ人間になるための教育をする。社会と自分の関係、中学、高校に何を学ばなければいけないかを考える教育に見直した。「早寝早起き」「朝食を食べる」だけでも子どもは変わってくる。
高校の卒業要件に漢字検定3級、英検3級を目指している。いずれも中学3年レベルである。
 日本にはリーダーシップのある人ではなく、周りにいい顔の出来る人、当たり障りのない人がリーダーに選ばれやすい。そういう人がトップに立つと「言わない」のではなく「言えない」人になってしまう。前に進んでいかないのもここに原因がある。
 郁文館夢学園の経営権を取得したときも、ワタミグループの介護を始めたときもこれまでの職員や従業員は渡邉の方針が合わないを理由に3分の一ほど辞めていきました。しかし、学校はこの6年で最も偏差値の上がった学校になり、介護はオムツ、径管栄養食、車椅子、機械浴をゼロにしようと奮闘している。
1775 人生教習所
Date: 2012-2-29

おすすめ度 ★★★★★

 垣根 諒介 著  中央公論新社  発行:2011年9月

  柏木真一38歳は、ヤクザの若頭まで上り詰めたが、さらに要求されるノルマに嫌気が差し地球の裏側、ブラジルまで逃げた。1年後、舎弟に連絡し自分の属していた組が消滅したことを知る。自分の逃げた後に、組長も行方をくらまし、内部紛糾の最中に関西からきた暴力団に壊滅状態にされてしまったという。柏木はもう組の追われることもなく、またヤクザに戻ることもない。日本に戻り、目に付いた「人生再生セミナー」に応募した。
 浅川太郎は、東大2年生になるところだが休学中である。心配した両親が見つけてきた「人生再生セミナー」に主催者の鷲尾総一郎なら間違いないとすすめられ応募した。
 森川由香29歳は、青山学院大学を卒業後、出版社に勤めるが3年でやめ、現在はフリーのライターである。思い出すのは出版社での自分のミスとそれを咎める上司。人間を怖がるようになった自分。由香も「人生再生セミナー」に応募した。
 船で小笠原に着いた。人生再生セミナーに参加するものは28名だった。早速ペンションのようなホテルに着き、挨拶のあと講義が始まった。
講義内容は「人生の確率」だった。失敗の要因を消していける者。確かに仕事は成功か失敗である。講義を聴いて夕方5時半までにレポートを提出する。
4日目の「認知」の講義では @努力すれば必ず報われるか というこのことわざは正しいか。というもの。太郎は「いいえ」に○をつけた。 A成功とはどういう要素で成り立っているか。 本人の努力、それ以外の外的要因、本人の努力と外的要因の3つのうちから選ぶ。太郎は最後の本人の努力と外的要因に○をつけた。
 その日もレポートの提出があった。
 柏木はようやく浅川に挨拶以外の言葉を交わす。話しているうちに柏木は浅川を「うらなり」と呼ぶ。浅川も柏木をロクデナシだと思いますといってしまう。このあけすけさに互いに苦笑するしかなかった。
 この日は合格者と不合格者に選別され、不合格になったものは小笠原から船に乗って東京に戻ることになる。
 幸い、浅川も柏木も由香も合格した。合格者は11人だった。
グループに分けられたが、この3人と竹崎は同じグループになった。竹崎はバイクメーカーに勤めていたが定年退職になった。
 グループのリーダーを決めるとき、竹崎は柏木を推す。皆も同意した。竹崎は柏木と話したときにヤクザだということより、以外にも読書家であることに興味を持った。
 柏木は由香のことを社交能力がゼロのタイプ、思い込みの強いタイプだと思った。そのデブ女の由香が倒れた。交代で負ぶってバスまでの700メートルを移動したが、柏木が退職のないものの分まで負ぶい、結局半分は負ぶっていた。このことから、由香は柏木に申し訳ないと感じていた。同時に、日を増すごとに皆が打ち解けてきた。
 このセミナーを終えると就職の斡旋もしてもらえる。小笠原のアメリカ領になったとき、返還後のことなど聞くと小笠原の独自の成り立ちを知り、自分の住む町を見るときに見方が違ってくるだろうと思った。4人はそれぞれこのセミナーに来てよかったと思った。
 半年後、柏木は出版社に勤務し、太郎は学校へ戻ろうと思い、それまで与那国ですごした。由香は4人のちいさな会社で障害児を持つ家庭への小冊子を発行する仕事についていた。充実していた。
1774 トライアウト
Date: 2012-2-28

おすすめ度 ★★★★

 藤岡 陽子 著  光文社  発行:2012年1月

 シングルマザーの久平可南子は東京の新聞社の記者38歳である。8歳の子供がいるが、宮城の実家に預けている。子供の父親は誰かということは可南子が口にしたことはない。子供を産んだ当初は可南子が育てていたが、二歳三ヶ月で四度目の入院をさせた際に、母親が家で預かってもいいと言ってくれた。可南子も校正の仕事に変更してもらって残業のない部署に配慮してもらっていた。 
 辞令が出て記者に戻った可南子は、仙台球場に取材に行く。
そこで初めて15年前に甲子園の優勝投手だった深澤翔介に出会う。トライアウトを受けに来ていたという。可南子が記者1年目に取材した相手だった。気になって後日再び深澤の取材に行く。取材には東京にやって来た息子考太も連れて球場に行った。深澤は可南子にも考太にも声をかけてくれ、考太とキャッチボールまでしてくれた。
 別の取材中に宮城の父親が倒れたという知らせが来る。電車はもうない。深澤がレンタカーで宮城まで送ってくれた。車の中で、可南子の子供の父親について深澤は知っているようであった。
 父親は持ち直すが、後日亡くなる。可南子は会社を辞め実家に帰る決意をする。
 深澤の計らいで可南子は考太の父親に会う。「認知してやっても良い」という態度に、深澤の方が怒りその場を後にする。可南子はけじめがついてよかったという。
 深澤は台湾の球団に行くことになった。台湾での深澤の初登板を絶対見に行くと約束した考太と可南子は送られたチケットを持って仙台空港に急ぐ。
1759 レンズが撮らえた幕末明治日本紀行
Date: 2012-1-30

おすすめ度 ★★★★

  岩下 哲典 著  山川出版社  発行:2011年12月

 幕末明治の日本の画像。今は見られない皇居の櫓、津山城天守閣、今とは少し違う会津若松城、姫路城もどこか垢抜けない。上野大仏も顔だけじゃなく全体がしっかりとある。首里城はちょっとボロボロに見える。
宿場町も、人の服装も、暮らしぶりも少し垣間見える。よくぞ残っていたと思われる写真がいっぱい。
1758 銀婚式
Date: 2012-1-29

おすすめ度 ★★★★

  篠田 節子 著  毎日新聞社  発行:2011年12月

 高澤は証券会社に勤務する。ニューヨークに転勤になった後、早々に子どもは英語圏になれていくが、妻はふさぎがちになる。多忙で家庭を顧みられないうちに妻は病気になった。鬱と診断されるが、妻は書置きを残して日本に帰国してしまった。子どもをつれて。
その後、妻は甲状腺ホルモンの分泌の病気で無気力になることが分かったが、妻は離婚を要求した。妻の申し入れを受け入れ離婚した。27歳で妻と結婚し、36歳でニューヨークにやってきたのだ。
 ところが、高澤の会社はほどなく破綻してしまう。残務整理を追われ再就職先も見つからないまま帰国した。2年半ぶりに息子にも会えた。息子は中高一貫の受験を1年後に控えているという。
 失業保険が切れるころ、友人の紹介で中堅の損保会社に就職できた。程なく船橋支店に転勤になる。生保営業レディを代理店という形で独立させていたが、会社はOA化を進めて、リストラを進めようとしたが、レディたちは20数万のパソコンを買い、高澤のアドバイスで何とか使いこなせてしまった。経営が悪化し、保険料の不払いが問題になってきた。高澤自身もうつ病にかかっていた。ふらつき、気力が入らない。高澤は再び退職をすることにした。
 そして、カルフォルニアの証券会社の経済研究所で旧知の片根から東北国際情報大学の講師の依頼を受ける。片根は多忙で後任を探していた。高澤は仙台のその学校へ3ヵ月後に赴任する。授業に出て驚いた。授業中でも物を食う、携帯電話をする、おしゃべりをする・・・。一括したいところだが、学生はお客様という言葉を思い出し思いとどまる。学生を小学生と思わなければやっていけない。ぐっと我慢して高澤は学生との距離を縮めようと勤めた。ここでは研究の必要もないが、学生の就職の心配は大きかった。
 翌年、高澤は講師から教授になった。息子は都立高校に入っていた。この学校へ来て5年、息子が国立の工学部に合格した。結婚を考えていた女性は自分より若い准教授と結婚した。息子が22歳のとき、いきなり元妻から息子の結婚の話を聞く。年上の女性だが妊娠をしたという。息子の結婚の日、高澤は元妻と結婚式に参列する。式を終えて、元妻と二人だけになったとき、「そのまま結婚を続けていたら今年が銀婚式だった」と聞かされる。
1757 闇夜で踊れ
Date: 2012-1-27

おすすめ度 ★★★★★

  馳 星周 著  双葉社  発行:2011年12月

 松涛に住む大金持ちの井上の青磁の花瓶が古美術商に持ち込まれた。なんでも井上には子がなく奥様も10年ぐらい前に死んだという。今は榊田という外につくった子どもたちが面倒を見ているという。刑事の神崎と水沢は井上邸に出向く。30代の姉と20代の弟が出てきた。井上氏は寝たきりだという。井上の妾だった母が今年になって死にその間際に父がいることを聞かされたという。榊田恵と学という姉弟だった。何度か、通ううちに神崎は恵と深い関係になってしまった。神崎は最近、妻が子どもをつれて出て行き別の男性と3人で暮し始めた。離婚届はまだ出していない。神崎も39歳で仕事一筋に来た。家庭は顧みなかったが、離婚の意思はなかった。もう一度チャンスを暮れというが妻は聞く耳を持たなかった。そんな折に、疑いつつも恵と深い関係になってしまった。
 突然恵の電話が繋がらなくなった。3日前まで話をした。不審に思い井上邸に出向くと、近所の主婦がもう10日前に井上氏はなくなり、姉弟もいなくなったという。そして、神崎の元へ請求書が送られてきた。クレジット会社とローン会社から1千万円の請求書が届いた。他にも千二百万円の車を買い、すぐ八百八十万円で転売した姉弟。
 神崎はすぐ、恵の信州の牧場の話から16年前に信州の山奥で白骨死体が出た事件から、姉弟の正体を突き止めた。三郷妙と智彦だと知る。
 神崎は妙を見つけた。しかし、妙の生い立ちを知り神崎は刑事の心を忘れた。妙は毎晩実の父親から性的暴行を受けていた。学校も気がつかなかった。妙は誰も助けてくれない。ある晩、妙は父を刺し殺し、智彦を連れて逃げた。そして、姉は結婚詐欺などの詐欺を働き二人で生きてきた。井上氏のことも耳に入れ、介護をしながら次々に骨董品を売っていった。土地も売るつもりだったと話す。
 智彦は妙と関係に及んでいるところを背後から鉈を振り下ろす。智彦には父に犯される姉の姿を見たような気がした。神崎は絶命する前に、智彦が「お母さん」と妙を呼ぶ声を聞く。そうか、智彦は妙の子どもだったのか。
 もう足を洗おうと思っていたが、予定が狂った。再び妙は早くカモを見つけなければと考えていた。
1756 テンペスト 上・下
Date: 2012-1-25

おすすめ度 ★★★★★

  池上 永一 著  角川書店  発行:2008年8月

  真鶴は3歳まで名前がなかった。男子を願っていた父が生まれた子が女子で落胆のあまり名前さえつけられなかったのだ。ところが、真鶴は小さいころから漢文を読み、外国人のベッテルハイムからヨーロッパの言語5か国語をたった2年で習得して驚かせた。ベッテルハイムから本を貸してもらいむさぼり読んだ。真鶴がこの国を救おうと王宮に入る決心をする。「私を男として清国から迎えた宦官の息子としてください」と父に告げ、ようやく父が孫寧温と名をつけてくれた。評定所筆者の試験を受ける。見事に首席で合格した。13歳であった。もうひとり15歳の朝薫も首席であった。人々は驚く。
 寧温は朝薫とも仲良くなり、二人は頭角を現していく。が、寧温は王府を調べて欲しいと尚育王に命じられる。王は役人たちの俸給を下げたが暮らし向きは裕福になっていることに疑問を持ったのだ。そして、朝薫も財政を健全にしないとこの国も危ういという。寧温は清国からの法外な金の要求をはねつける。そして会計監査を実行する。聞得大君の御殿増築案を却下する。聞得大君は寧温に女性であることを見抜かれてしまう。
 寧温と朝薫は表十五人衆に登用される。すでに、父は異国の本を持っていたという罪で処刑されていた。あの本は寧温がベッテルハイムから譲られたものだった。父が幼い自分に言って聞かせた「自分たちは第一尚氏王朝の祖先でその再興を願っていた」ことを思い出していた。
 寧温の斬首の刑が発せられと、薩摩藩の浅倉雅博は琉球から兵を撤退する代わりに減刑を要求した。寧温は八重山に流刑になる。八重山では朝薫が書簡を出し、寧温は自由にすごすことが出来た。八重山で雅博と出会った寧温。また朝薫からも求婚されるが国を再建することに力を注ぎたいと思っていた寧温は断ってしまう。
 八重山で王宮に戻れる道があることを知り、その試験を受ける。ところが、その試験は王の妻と側室を選ぶ試験だった。寧温は親友の真美那とともに合格する。真鶴は妻として王宮に戻り、真美那は側室となる。だが、ある事件が王に寧温を思い出させ、八重山から寧温を呼び戻す命令が下る。
 真鶴と寧温の二役を演じながら、ついに真鶴は妻として身ごもってしまう。真鶴の本当の姿を知った側室の真美那は子どもを生む道を選ばせる。
 真鶴と寧温が同じ人物であることを兄が暴露してしまう。王宮は騒然となる。真鶴はわが子を抱いて逃れる。寺の裏に匿われ平穏な日が過ぎる。わが子もまた聡明な子であった。やがて日本は明治に入り琉球は沖縄県となった。王国は解体された。
 アヘン事件を解決し、王国を植民地支配しようとしたペリーを追い払った寧温を懐かしく思う朝薫であった。薩摩藩の浅倉雅博は、王宮を訪れていた真鶴に「琉球であなたと一緒に暮したい」と求婚する。
1755 アンチェルの蝶
Date: 2012-1-20

おすすめ度 ★★★★★

  遠田 潤子 著  光文社  発行:2011年12月

居酒屋まつに秋雄が小学生のほづみを連れてやってきた。そして、「この子を預かってくれ」という。バックの中には衣類と5百万円が入っていた。
いづみと藤太と秋雄は中学の頃の仲良しだった。藤太はもう40歳になる。いづみは7年前に死んだという。以後秋雄がこのほづみを育てた。
 秋雄は弁護士になり、少年問題に携わっていた。いたずらしようと少女にライターを向けた少年3人。ライターは少女の服を燃やし驚いた少年たちは逃げた。少女は死んだ。少女の兄は少年達を弁護した秋雄に抗議をした。そして、家裁の前で、兄も焼身自殺をした。そのことがネットに載り秋雄は中傷されていた。秋雄のマンションが放火されていた。秋雄は行方不明だ。
 25年前、秋雄と藤太といづみには人に離せない過去があった。3歳の時に母が出て行って飲んだくれの父と暮らす藤太。父は居酒屋をやっていた。いづみの父と藤太の父、秋雄の父と坊主の4人が賭け麻雀をしていた。いづみの父が負け、約束の金が払えない。そこでまだ中学生だったいづみは、藤太の店で男たちの餌食にされた。それを知った秋雄たちは大人4人に復讐を考えた。工場に入ったところを鍵に細工して出られないようにし、放火した。しかし、酒に酔っての事故死とされた。
 秋雄は弁護士に、藤太は居酒屋を継ぎ、いづみとは連絡が途絶えた。ところが、3歳の子を連れたいづみは秋雄を訪ねてきた。そして7年間いづみの子ほづみを育てた。いづみはその後亡くなったという。藤太はいづみが好きだった。あずけられたほづみを汚い居酒屋で面倒見始めた。警察にも行った。秋雄のゆくえはわからなかった。店はほづみが少し手伝うようになって雰囲気が変わった。
 男が訪ねてきた。坪内という消防士だ。ほづみは自分といづみの子だという。坪内は父親が残したビデオで少女に暴行する行為を見て、償わなければならないと同居を始めた。いづみが喜ぶような家具も揃えた。何年かは一緒に住んだが、子供が産まれる直前に出て行ってしまった。以来、行方がわからなかった。藤太がいづみは死んだと聞いたというと、いづみの死亡届は出ていないという。
 秋雄が送ってきたビデオを藤太は見た。そして秋雄と会う。秋雄は苦しかった胸の内を藤太に打ち明ける。
1754 中野トリップスター
Date: 2012-1-18

おすすめ度 ★★★

  新野 剛志 著  新潮社  発行:2011年9月

 迫島組の組員、迎え屋のリーダーでトリップスターのオーナー山根勘治。山根がオーナーになってから韓国からのスリ団の世話係もやり始めた。トリップスターは中野にあった。
スリ団の滞在先の手配やナイフやスタンガンの武器の用意をする。トリップスターは小さな旅行会社の中にあった。スリ団がドジをした時に助けたりもする。
 春田良太郎20歳と誠は24歳。山根は25歳。電車で痴漢呼ばわりした女が事務所にきた。中村千栄という。山根が新しいオーナーだと知った。
 早速、空港へスリ団を迎えに行く。8人の男女がやってきた。スリ団は4人1組で動く。が、その8人のうちの一番若い男がいなくなった。夜中の二時半になってやっと三鷹のビジネスホテルに戻ってきた。聞けば親分のおっさんの孫だった。山根は雑司が谷の築35年のマンションに住んでいた。スリ団も十年もやってきた「会社」だという。
 その孫がサラリーマン風の男の財布を警官の前でスった。追われた。山根達が助けた。とりあえず韓国へ帰国させた。
1753 白河法皇
Date: 2012-1-16

おすすめ度 ★★★

  美川 圭 著  日本放送出版協会  発行:2003年6月

  白河法皇は天皇の地位を子の堀河天皇に譲った後も天皇の父としてずっと最高権力を握り続けていた。
 白河天皇は1071年に藤原賢子を妻に迎える。二人の間には4人の子供が出来たが、賢子が28歳のとき、1084年になくなってします。そのときの白河天皇はその死を悲しみ、賢子のそばを離れようとしなかったという。
 白河天皇は、亡き父後三条天皇の遺志が白河天皇の後は皇太弟実仁に即位させようとしていた。白河は実仁が成人するまでの間の中継であると考えられていた。しかし、実仁は疱瘡がもとで死亡する。白河の息子善仁はまだ7歳であった。しかし、翌年8歳になったときに善仁を皇太子とした。そして堀河天皇として即位させた。
 堀河天皇は父白河上皇の母茂子の姪の藤原井苡子を妻に迎える。そして、宗仁(のちの鳥羽天皇)を産むとすぐ亡くなる。
 やがて、鳥羽天皇の時代になると、白河上皇の愛人祇園女御の養女となった璋子を異常に可愛がり、やがて璋子が鳥羽天皇の妻となるも、白河上皇との関係は続いた。璋子が産んだのちの崇徳天皇は白河との子だといわれている。璋子はもうひとり、後白河天皇も産んだ。
 白河上皇は、天皇の地位を譲ったあとも国家大事は白河が、常祀・小事は天皇に任すという権力を持ち続けた。
 その時代は、興福寺や延暦寺が強訴や合戦を繰り返し、決して平安な世ではなかった。
「加茂の水、双六の賽、山法師(延暦寺の僧兵の横暴など)」の3つが白河の三不如意とされている。思いのままにならなかったものである。
 白河の御所は堀河天皇に地位を譲った翌年に立てた鳥羽殿だけでなく、二条、三条、七条、六条、烏丸などあちこちに住まいがあった。
 77歳で死去した白河上皇は遺言どおり、荼毘に付され鳥羽殿の三重塔の下に眠っている。
1752 神の器 上・下
Date: 2012-1-12

おすすめ度 ★★★★

  申 翰均 著  里文出版  発行:2010年1月

 太閤秀吉が朝鮮を攻めた時代。申釈は真夜中にやってきた倭兵に突然連れ出され、日本にやってくる。佐賀藩の壱岐という島の藍島だった。そこには茅葺の家が2棟建っていた。高橋兵衛がやってきて鍋島加賀守直茂の専属陶工として特別の計らいであった。
 1593年は祖父がまだ生きていて、朝鮮にいたころ倭館に茶碗を納めていた。金海と書かれた茶碗を太閤殿下より授かった鍋島藩は、礼祭を行うときに用いる器を持ってきてこの三島(粉青磁)だけを作るように言われる。2ヶ月に一度高橋はやってきた。粉茶碗が出来ると褒美と称して金銀や米を置いていった。米は近所の貧しい民に分け与えた。
 倭人は黄陶の井戸茶碗を作るように命じた。井戸茶碗は父は絶対に作ってはならないという。ご先祖さまの器だという。普通のものが手にするものではない。1595年、祖父が死ぬと倭人の注文書どおりの陶器作りをしていた。
 そして、1598年、日本につれてこられた。申釈は25歳だった。井戸茶碗を作ることが目的だった。陶工といっても申釈は百石を与えられ正式な侍となっていた。窯に使う松ノ木は日本人が持ってきた。日本の土を探しながら、その傍ら、明から白磁が入ってくるようになり、それが作れないかと打診される。先に日本に来ていた朝鮮人の李参平にも会い、様子を聞く。李はすでに800人の職人を使っていた。申と李は試行錯誤の上、白磁を完成させる。日本に来て7年目だった。
 申はそのころには、奴隷としてつれてこられた朝鮮人や村の人を雇って高麗村と称した。
村は陶器で潤っていた。300石が与えられていた。女性の弟子の真子と夫婦になるものと思われていたが、真子は心を動かさない申に、いつしか倭人の妻となっていった。
 白磁を作る段階で白い器が出来るようになった。有田焼と名づけた。真子も戻ってきた。
再び、黄陶の井戸茶碗を作るように命じられる。しかし、井戸茶碗は朝鮮でしか作れないことを知る。細川藩の殿様に細川井戸茶碗を見せてもらう。これまで10回も他人に見えたことがないという。
 1638年、40年ぶりに朝鮮に戻る。すでに両親は亡くなっていた。さらに、倭人になった朝鮮人といわれた。朝鮮に帰る前は3000石の身分になっていた。
 そして、井戸茶碗が完成する。日本にいる真子にも1つ贈る。
1751 人生がときめく片付けの魔法
Date: 2012-1-10

おすすめ度 ★★★★

  近藤 麻理恵 著  サンマーク出版  発行:2011年1月

 一生きれいな部屋で暮せる魔法の片付け術。家中の洋服を一箇所に集めて、ときめくかどうか選別する。勿体無いとか、また着る、何かに・・とかは結局何もしない可能性が大。思い切って処分する。
 洋服はハンガーで吊るすより、畳んでしまうのが一番収納力がよい。たたみ方も薄くたたむとシワになったり、見えにくくまた着ない洋服を作る原因になる。小さく四角くたたんで引き出しを開けたときに一目で分かるようにする。靴下は丸めないで売っているように折ってたたむ。バックの中にバックを入れてなるべく場所をとらないようにするが、一目で分かるように2つ以上は入れない。
 洋服が終わったら、本、次に書類、そして小物類、写真類です。
本は、いつか読むは結局読まない。書類はほとんどが全部捨てるつもりで。年賀状は来年度の住所調べのために1年分置いておいて、それ以外はときめくもの以外は捨てる。
 もののしまう定位置が決まると散らからない。そして、捨てるものを家族に見せてはならない。勿体無いでは片付かない。そして限界までシンプルにする。
1750 隣人
Date: 2012-1-9

おすすめ度 ★★★★

  喜多 由布子 著  講談社  発行:2011年10月

  夫光一郎が香港出張中であったが、操は札幌に引っ越した。息子保の中高一貫教育の私立校に入学が決まり一足先にやってきた。幸い、夫の弟の健二郎と妻の藍子も手伝ってくれた。3LDKのマンションの26階からの眺めはよかった。
 近所に挨拶に行くと、階下の2503は料理教室を開いている畑中咲月の部屋だった。子どもは2人の4人家族だった。ホームパーティでもしているようなにぎやかさであった。
 「引っ越してきたら自宅を疲労するんだけど知らなかった?」と同じマンションの人に言われる。咲月の生徒さんのようだ。さっそく、操も時間を都合して招くことにした。階下の人とそれを教えてくれた人を誘ったはずが、料理教室の生徒もやってきて七人になった。何とかもてなしはしたが操は戸惑った。おまけに出身地、給与、勤務先、肩書きまで聞き、台所からトイレまで覗いていった。寝室も見ようとしたようだが、さすがに断った。
この常識をどう解釈したものやら。すると今度は、夫に「奥様はどうしてお勉強会に参加しないのか」という。夫は近所は大切にしておいた方がいいというので、しぶしぶであったが参加した。その後も、操の部屋に集まることがあった。
 咲月が色んな相談を操に持ちかけてくる。操は適当にあしらっておいた。ところが、無言電話や頼まない寿司が届いたりし始めた。
 そして、夫から離婚を突きつけられた操。息子の保は母を守ろうと頑張ってくれた。操は止む無く保を連れて東京に戻る。
 夫光一郎は離婚した咲月と一緒になり、26階を自宅に、25階をアトリエとして料理教室を開いていた。ところが、今度は光一郎にセクハラの疑惑が起こる。会社を辞めた光一郎に咲月の態度は変わる。光一郎は精神を病んだ。健二郎に連れ出されるまでに別人のようになっていた。光一郎は咲月に捨てられた。
 操の元に咲月の姉から手紙が届く。咲月は若作りをして男に接触し他人の夫を奪うことを繰り返しているという。光一郎も操宛に手紙を書いた。出来ることならあの日にもどりたいと書いてあった。
1749 東京ピーターパン
Date: 2012-1-7

おすすめ度 ★★★★

  小路 幸也 著  角川書店  発行:2011年10月

 杉田辰吾60歳は公園の象さんの滑り台の下で寝泊りしているホームレスである。近所の人に気づかれる前に起きだし、ストレッチや散歩をしてからコンビニでパンを買い、お寺に行く。朝6時40分には掃き終えた寺の庭で過ごす。傍らにいつもギターを抱えている。30歳までは一流のミュージシャンとしてギタリストとしてその名を知られていた。しかし、もう一人の相手だったジロウは曲を作り出す天才だった。そのジロウが曲がかけないという。やがて、二人は別々になり、45歳のとき、辰吾も家族を捨て家を出た。そしてホームレスになった。親しいのは駅前の交番のおまわりさん吉川さんという50がらみの巡査部長さんだ。
 吉川もロックを昔やっていたという。
 小島隆志26歳は、半年前にこの町に越してきた。バンド仲間キネリック・ジャンクションを解散したばかりだ。浅島社長の好意でつけ麺屋でバイトしながらバンドの練習をしていた。ギターのうまいホームレスがいると聞いた。そして、杉田辰吾のあとを付けた。
 田仲聖矢は16歳。寺の息子であるが、いじめが原因で高校に入ってまもなく引きこもりになった。唯一の友達は茉莉ネエだけだ。茉莉ネエは帰ってくるときに携帯にこれから帰るとメールをくれる。家に入るまでの間をみるだけの付き合いだ。もっぱら茉莉ネエのツイッターで話していた。
 田仲茉莉は26歳。茉莉は弟の聖矢の気持ちがわかる。母親を早くになくした。厳格な住職の父。寺の境内にある土蔵にこもってしまった弟を心配している。土蔵は12畳ぐらいあった。
 土蔵の前で人の声がする。茉莉が駆けつけると、ホームレスの杉田と小島と聖矢がいた。そして石井という合コンで知り合った男が。とりあえず、近所に迷惑だから土蔵の中に入る。石井は茉莉を知っているし、茉莉は杉田も知っている。小島は茉莉がマネージメントしていたのでよく知っている。杉田が昔のシンゴとわかる。皆、バンドに興味のある連中だった。聖矢も話しかけている。
 石井が人を車で撥ねたかもしれないという。小島は現場に急ぎ、杉田はおまわりさんの吉川と連絡を取る。撥ねた人は死んでいたかもしれない。
 やがて、撥ねたのではなく、気を失っただけだったことが分かる。そして、その夜、1つの曲ができた。杉田が聖矢の曲を手直ししてくれた。そして、みんなで歌った。石井は歌がうまかった。「ナモナキラクエン」という曲ができた。蔵の中で一夜限りのバンドを組んだ。楽しかった。後日、住職の父に聖矢は話す。あの日以来聖矢も本気で外へ出なければいけないと思い始めた。
1748 日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」
Date: 2012-1-5

おすすめ度 ★★★★

  水谷 竹秀 著  集英社  発行:2011年11月

 「私たちは貧しいので、食べ物は分け合って食べます。家に誰か来たらその人にご飯を食べさせるという考えがある」とフィリピンの女性は言う。
 日本で自動車工場で派遣社員として働いていた吉田は20万円を持ってフィリピンに行く。日本にいたときはフィリピンクラブの陽気さと、はじめてでも溶け込めるところにひかれた。日本人女性との結婚が破談になり、フィリピンパブで知り合った女性を求めてやってきた。3ヶ月で帰りの飛行機代5万円も使ってしまった。当然、女性の家から追い出され、バクララン教会で寝起きするようになる。フィリピンの日本大使館で金を借りようと相談するが断られ、1度は日本の姉に電話をして送金をしてもらい一旦は日本に帰国したという。わずか2週間でフィリピンに舞い戻った。ここフィリピンでも邦人の困窮者にお金を出し帰国させてくれるビジネスがあるのだという。
 50歳を過ぎた浜崎は千葉の新聞配達の仕事をしていた。月20万から28万円をもらっていたが、200万円の借金からも逃れたいという気持ちから、フィリピンに偽装結婚のためにやってきた。カビテ州の家というところに泊まり、結婚したフィリピン妻からは日本にいけないと分かると去っていった。日本人が経営する自動車部品会社の手伝いをしながら、カビテ州の家に戻るという生活を2年半も続けている。
 37歳の須藤は父親が経営するトラック運送業を任されるとフィリピンパブに通い金を使い果たした上に、借金まで作った。父親は脳梗塞で倒れ入院した。暴力団にも追われる日がつづいた。須藤は知人から10万を借りフィリピンにきた。マニラ空港に着いたときは所持金は1万6千円になっていた。家電修理店で働いた。1年後に須藤に会ったときはビルの屋上で寝泊りをしていた。1階の食堂の手伝いをしているという。須藤には息子がいた。日本の施設に預けっぱなしである。須藤の父親は「息子は本当に死んだ方がいい。親の貯金もみんな使い込んで・・」と父親は生活保護を受けていた。母は平成12年に亡くなっていた。
 自から選んでそうなったもの。その道しか選べなかったもの。しかし、取材しているうちに当人たちは自分の都合のいいことしか言わない。取材をしながら「だからあなたたちは困窮するんだ」とあざ笑う自分がいた。
 彼らが捨てられたのではなく、彼らが日本を捨てたのではないかと。
1747 転迷 隠蔽捜査4
Date: 2012-1-3

おすすめ度 ★★★★

  今野 敏 著  新潮社  発行:2011年9月

  大森署の署長竜崎伸也が700件の書類に決済印を押していた。署長はお飾りという言葉を変えたいと思っている。しかしながら伝統はすぐ変わるものではない。
 東大井二丁目で男性の遺体があがった。警視庁の伊丹俊太郎から電話があった。伊丹と竜崎は同期だ。男は刃物で殺害されている。身元は外務省の職員であった。捜査本部を立ち上げると大げさになる。竜崎は20人ぐらいの捜査員でネットを利用して会議をし、なるべくマスコミを避けたいと伊丹に告げる。
 竜崎の娘から夫がカザフスタンから連絡がないと電話が入る。飛行機で帰国することになっていた。飛行機が墜落したというニュースがあり、心配していた。竜崎は伊丹に連絡を取る。墜落機には日本人は乗っていなかった。
 管内で放火が4件あった。いずれもぼや程度でおさまった。大森北三丁目でひき逃げ事件が起こった。犯人は逃走した。被害者は外務省の職員OB八田だった。65歳だ。
 八田は現職時代在ブラジル大使館だったが、頻繁にコロンビアに出入りしていた。コロンビアの麻薬カルテルとなんらかの関係がありトラブルになり消されたか?
 東大井二丁目の男性もコロンビアネクタイという手口で殺されていた。
竜崎は伊丹の協力を得て、両方の捜査本部を行き来し、情報を聞き出してもらった。それと「隆東会の天木兼一の指名手配」をお願いした。伊丹は少し考えて了解した。そして、麻薬取締りとひき逃げと外務省の職員の殺人についての3件の事案を「私が仕切る」と竜崎は言う。麻薬取締部の矢島は署長室に怒鳴り込んでくる。二つの捜査本部も指揮をすることに矢島は驚く。そして、隆東会の家宅捜査を行う。
 事件が片付き、記者会見で警視庁の警備企画課長と外務省の国内広報課長が「被害者は警視庁と外務省の共同捜査事案について情報収集する立場にあった」と発表した。潜入捜査、アンダーカバーという言葉は使わなかった。