
馬籠宿は平成の大合併で岐阜県中津川市になった。
中山道は、はじめ 「中仙道」 と書かれていたが、本州の中部山岳地帯を貫いている道路ということから、享保元年(1716)以降、「中山道」
と書き改め、やはり 「なかせんどう」 と読まれた。
江戸と京都を結ぶ重要な街道で、その延長は132里(約550Km)、ここには六十九の宿場が置かれていた。
この道路は東海道・奥州街道・甲州街道・日光街道とともに 「天下の五街道」 の一つといわれ、参勤交代の際ここを通る大名は三四家と定められていた。(案内板より) |

左下の花屋のあるところから右のほうへ登っていく |

バス停の並び四辻のところ |

駐車場側のみやげ物店 馬籠館 |

みやげ物店 馬籠館 |

花屋の向かい 馬籠宿入口 |

このお店の前の坂から登っていく |

中央突き当たりに向けて登っていく |

この場所から登っていくと馬込宿がある |

バス停の傍の蕎麦屋 |

馬籠館の道を挟んで向かい側のみやげ物店 |

登り始め、突き当たるとまた坂だった |

一軒が妻籠宿より大きく、どっしりとしている |
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清水屋資料館 |
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清水屋資料館 |

大八車が時代を感じさせる |

屋根の脇に防火壁があった |
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ずっと石畳が続いている |

たまに在る植木にほっとする |

7月下旬にも紫陽花が咲いていた |
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藤村記念館 |

藤村記念館入口 |
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 馬籠宿 大黒屋 |
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馬籠脇本陣資料館 |
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馬籠脇本陣資料館 |
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道がまっすぐになると平坦地になる |

藤村の墓を示す表示板 もう足が向かなかった |
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来た道を戻ります |

水路の水 綺麗だった |

脇を水路が流れていた |

石畳 これが以外に足に来る 歩きにくい |

土蔵も喫茶店に |

馬籠館隣のまごめやで昼食 |
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ホウバ寿司、蕎麦、酢の物、卵焼、紅鱒有馬煮、香物、豚カツで千円
おいしかった!!
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