長崎の旅


旧三菱第二ドックハウス

レトロ写真館 旧ウォーカー住宅

旧リンガー邸 グラバー商会に勤務していた

旧自由亭  喫茶・食事が出来る

グラバー邸の応接室

三浦環(1884.2.22-1946.5.26)は東京音楽学校(現・東京芸大)を卒業、 オペラ歌手としてデビュー。結婚後 1914年留学のためドイツにわたり、翌年ロンドンで一躍 スターになりました。これをきっかけにヨーロッパとアメリカを中心に2000回以上も「蝶々 夫人」を演じています。

明治の頃の西洋料理

グラバー邸の台所

グラバー邸 

グラバー邸からみた海

坂本竜馬や伊藤博文を支援したイギリス人
三菱の相談役としても活躍した。21歳の時に来日、2年後に
会社を設立、各藩に武器や船舶を売り巨額の財を成した。
73歳でなくなったときは東京の私邸であった。
墓地は長崎の浦上にある。

大浦天主堂 1864年にフランス人宣教師によって建てられた

オランダ人(当時は外国人)がよくとおる坂で
オランダ坂と呼ばれた

山手十二番館 旧居留地私学歴史資料館

教会から降りてくる途中にある美術館

新中華街の隣にある湊公園

鎖国の時代に海に人工の島を作り、外国人を住まわせた

復元が進んでいる出島の中の建物

出島  昔の建物の復元をされている。屋根向こうに近代の建物が建ち、ここが出島かわからない。
現代のものを取り除いてみた。扇形の一部がうかがわれる。塀の途切れているあたりが昔の出入口
現在は海の脇ではなく、陸の中で住宅やビルの谷間に隠れるように存在している。

出島の模型

横の道を突き当たったところが出島に入る門があったところ。

平和公園は階段の上にありました。

平和祈念像
右手は原爆への脅威を左手は平和を表す

平和の泉の向こうに平和祈念像が見える

藁葺きにも似た近代的な建物

保育園の壁に描かれた絵

浦上天主堂

ステンドグラスがきれい  どの窓も絵が違っていた

浦上天主堂の中  正面

横に出る出口のドアの上

首の無い像 原爆で飛ばされた石像

天主堂脇

長崎カトリック大司教館

階段を登って反対側から見上げた鳥居

一本鳥居は、原爆で破損した鳥居。

公会堂脇のビル、中華飯店のお店が入っていた

孔子廟は1893年に華僑によって作られた。


この山門を入ると正殿がある。正殿の前には広場がある。

正殿の前には賢人像が並んでいる

東山手 地球館 ランチが食べられる

東山手洋風住宅群 外国商人たちの住まい

東山手洋風住宅群

東山て洋風住宅群

東山手十二番館 明治時代はロシア領事館だった

長崎市べっ甲工芸館 平成14年にオープン
旧長崎税関下り松派出所である。

右が旧英国領事館 この道は神戸の異人館どおりに似ている

旧英国領事館 目の前の大通りの先に海がある

英国領事館裏の通りのホテル

旧香港上海銀行長崎支店記念館
1904年に建立

崇福寺 最初の山門

階段の上の山門

崇福寺

崇福寺  梵鐘


大きな釜 災害時の炊き出しに使われた

17世紀に興福寺の住職が建立したというアーチ型の橋

崇福寺の近くには寺がいっぱい並んでいる

興福寺にある中島聖堂遺講大学門  孔子廟にあった
 1647年建立されたものを昭和34年にここに移築

興福寺の庭

興福寺 こちらの建物は中国風

興福寺 1620年に創建された寺

この坂を龍馬通りという。龍馬が亀山社中の同志と
よく通ったという道

このような看板が階段でへとへとでも先へ
行こうと励ますように建てられている

竜馬像のところから望む長崎の町

風頭公園にある坂本竜馬像