日光御成道まつり
川口宿・鳩ケ谷宿


大名行列
2012.11.11 川口宿・鳩ケ谷宿 日光御成道まつりは、
川口市と旧鳩ケ谷市の合併一周年を記念して開催されました。
11時から川口駅前から国道122号手前までと川口ミエルの前で、
また13時から鳩ケ谷昭和橋から地蔵院までのパレードが行われました。
川口ミエルの前の通りで撮影したものです。
仮装には一般公募で選ばれた市民320人を含む1800人のパレードがあり、
18万人の見物客で賑わいました。

大名行列は、岩槻藩主・阿部正次の参勤交代を再現したものです。

藩主

腰元

腰元

腰元

お局様と腰元

お局様と腰元

腰元

奉行と長槍持ち
川口歴史行列川口市ゆかりの人々

源義経  奥州から鎌倉へ向かう途中川口で兵をあらためたそうです。


鳩谷兵衛尉重元 はとがいひょうえのじょうしげもと鎌倉時代の武蔵國足立郡内鳩谷地頭職をつとめた


後深草院二条 ごふかくさいんにじょう 鎌倉時代天皇の寵愛を受けた女性。川口に滞在したことがある。


中田安斎入道安行 なかだあんざいにゅうどうやすゆき 室町時代の名主金剛寺の開基。安行の地名の由来になった。

平柳蔵人 ひらやなぎくらんと 室町時代の岩槻城主太田氏の家臣。元郷に居館跡の碑があり。

千代姫 ちよひめ 家光の娘。西福寺三重塔を奉建。

小宮山弾正介忠孝 こみやまだんじょうのすけただたか 安土桃山時代の行田の忍城主成田氏の重臣。川口の戸塚城を築城。


伊奈氏 川口の赤山に陣屋を構え、関八州の幕府直轄領を12代に渡り統治した。


伊奈氏 12代だから12人


この方も伊奈氏一族



ありゃりゃ、12人より多くいましたね。


龍派禅珠 りゅうはぜんしゅ 足立学校に学び芝長徳寺や鎌倉建長寺の住持。著書を残している。

熊沢三郎左衛門忠勝 くまざわさぶろうざえもんただかつ 消失した長徳寺本堂を再建した有力檀家。

井沢弥惣兵衛為永 いざわそうべえためなが 江戸中期吉宗の命により見沼代用水をつくった。

吉田権之丞 よしだごんのじょう 江戸時代の植木の祖とよばれている。墓所と記念碑が金剛寺にある。

小谷三志 こたにさんし 江戸中期鳩ケ谷宿に生まれ、日常的道徳実践を説いた社会教育家。墓所は地蔵院。


この方は、三郎左衛門忠■ 詳しい名前は不明

高島秋帆 たかしましゅうはん 江戸末期の砲術家。大型カノン砲を鋳造。

瀧山 たきやま 江戸大奥最後の御年寄。晩年を川口で過ごす。墓所は錫杖寺(せきじょうじ)にある。

安井息軒 やすいそっけん 江戸末期から明治初期の儒学者。戊辰戦争の際、川口領家に疎開。

増田安次郎 ますだやすじろう 江戸末期の川口鋳物師。秋帆らと大砲を鋳造した。


大砲組 幕末に江戸幕府が編成した陸軍の大砲組。

永瀬庄吉 ながせしょうきち 旋盤平削機など西洋式型法導入し川口の鋳物の技術革新を進めた。川口町長。

大熊氏広 おおくまうじひろ 明治初期に彫刻を学び、靖国神社の大村益次郎像を造った
日光社参道中

虎皮なげ鞘鑓 (こひなげさややり)


虎皮なげ鞘鑓 (こひなげさややり)


虎皮なげ鞘鑓 (こひなげさややり)


駕籠担ぎ(かごかつぎ)


持弓(もちゆみ)

矢櫃持(やびつもち)


長刀(ながなた)


長刀(ながなた)


徒頭(かちがしら) 徒組頭(かちぐみかしら)



将軍の駕籠


これに将軍様が乗る

社参奉行(しゃさんぶぎょう)


小姓

小十人組頭(こじゅうにんくみがしら)


十人番衆(じゅうにんばんしゅう)


十人番衆(じゅうにんばんしゅう)


馬印(うまじるし)   馬が通るはずだった(この場所では通らなかった)


鉄砲衆(てっぽうしゅう)



長槍衆(ながやりしゅう)


やっと松平健さんが人力車に乗ってきた。

松平健さん 行列の本当の最後に登場しました。12時30分ごろ 川口ミエル前あたり

新聞ニュースから 姫役に 指原莉乃さん 川口ミエルの前は通らなかった。