ベンガラは1707年に生産が始まったとされています。
建材、陶磁器の顔料として昭和26年まで生産されました。
その後は化学製品などにとってかわられ衰退しました。
町並みは300メートルほどですが、きれいな街並みです。 |
吹屋の町並み 江戸から明治にかけて栄えた街道 備中高梁駅からバスで60分 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
お土産やさんとコーヒー店 右側の家ののれん ベンガラ色です |
|
|
|
|
郵便局もベンガラが塗装してある |
|
|
旧片山家住宅 郷土館の向いにある
海鼠壁(なまこかべ)で出格子の窓で意匠をこらして建てられている |
広い土間に当時の鍋釜がある |
太い梁も |
赤っぽい瓦は石州瓦で江戸時代から使われています。
|
左から2軒目が郷土館 |
片山家 |
備中高梁駅行きのバスは日に何本もない |
|
|
|
お昼をここで食べました お蕎麦が美味しかった |
|
吹屋小学校 今も生徒が5人 現役の校舎です。 |
左は西館 中央が本館 写っていないが右に東館 |
校庭は階段を降りたところにある |
吹屋中学校 平成元年3月に統合のため閉校 現在は農林漁業体験実習館「ラ・フォーレ吹屋」 |
吹屋 吉岡銅山 笹畝坑道 807年に銅が発見され戦国時代に尼子と毛利が争奪戦をしたという。江戸時代は藩の支配下になった。黄銅鉱、磁硫鉄が産出され馬の背に載せ河口から高瀬舟で玉島港に運ばれ、さらに海運で大阪銅役所へ運んだ。 |
|
|
|
|
ベンガラ館 ベンガラができる工程が当時のまま残されている |
|
|
|
|
|
|
|
|
西江邸 1500年から続く山城を守る地侍の家 江戸時代は武士を棄て帰農 代官御用所を兼ねた惣代庄屋(大庄屋)
6代目よりベンガラ鉱山を開鉱山し、13代目でベンガラで大きく成功、現在18代目が居住中です。 |
西江邸の門 |
左に玄関 右に座敷が5部屋が南側に、北側も5部屋が連なる |
|
|
|
式台(特別な玄関)があります |
簡易白州 ここでお白州が行われた |
御用提灯も掲げてある |
お屋敷の裏側にも日本庭園がある 今もここで会合が開かれる |
|
|
|
蔵の方から玄関の方をみる |
蔵は2階建てになっている |
蔵の奥行きが長い |
広兼邸 銅山とベンガラの原料ローハ製造で巨大な富を築いた。母屋は1810年に建てられた。母屋、土蔵、下男下女部屋に厩のほか離れ座敷や茶室などがある。八つ墓村のロケで昭和52年と平成8年に主人公の旧家となっている。 |
|
|
|
坂を登っていく |
|
左は下男下女部屋(白壁部分)や厩の建物 中央入口は堆肥の取り出し口 |
母屋 玄関脇の客室 |
門をはいってすぐの部屋 |
水琴掘のあたりから部屋をみる |
遊龍の松 松の先は門に届く |
門には 不寝番部屋もある |
水琴窟 柄杓で水をすくい竹の筒で音を聞く |
鬼瓦 |
土蔵 |
土蔵の中 |
土蔵の中 |
|
|
手前は控間 |
左側 下女部屋 奥は厩や農作業場 |
下女部屋の下は厩肥落としがある |
鬼瓦と瓦に丸い紋が入っている |
|
瓦は石州瓦 |
海鼠壁 |
神社脇に広兼家墓地 広兼邸からはるか向こう側に見える |
広兼家の神社 天広神社 |
高梁市内 |
高梁市郷土資料館 旧高梁尋常小学校 明治37年築 昭和57年より郷土資料館に |
高梁基督教会堂 明治22年築 |
武家屋敷 |
武家屋敷 |
男はつらいよのロケ地 |
ロケ地とつながっているお寺の境内 |
|
高梁中学校発祥の地 郷土資料館裏 |
石州瓦の大きな家 吹屋に向かう途中でみた豪邸 |
|
|
|